2008年8月10日(日)「しんぶん赤旗」

被爆63年 長崎で式典

平和宣言 核兵器ノーの意思を


 長崎への原爆投下から六十三年を迎えた九日、長崎市平和公園で平和式典(同市主催)が開かれました。式典には五千六百五十人が参加、原爆の犠牲者を追悼し、核兵器廃絶と戦争のない平和な世界の実現への思いを新たにしました。

 式典ではこの一年間に死亡が確認された被爆者三千五十八人の名簿が納められ、総計は十四万五千九百八十四人になりました。

 田上富久長崎市長は「長崎平和宣言」の中で、キッシンジャー元国務長官など元米政府高官四氏の「核兵器のない世界に向けて」と題するアピールが「世界に反響を広げています」と強調。核保有国が核兵器の大幅削減や核軍縮に真摯(しんし)に取り組むこと、日本政府が「被爆国として核兵器廃絶のリーダーシップ」をとり、非核三原則の法制化や「北東アジア非核兵器地帯」創設を真剣に検討することなどを求めました。

 田上市長は「核兵器の使用と戦争は、地球全体の環境をも破壊します。核兵器の廃絶なくして人類の未来はありません。核兵器に『NO!』の意思を明確に示そうではありませんか」と呼びかけました。

 被爆者代表として、森重子さんが当時九歳で被爆し、家族を失った体験を語り、「平和憲法と非核三原則を日本のみならず世界中に広げていくことこそが、戦争をなくし、核兵器の増大と拡散をとめる有効な手段」と訴えました。

 来賓として福田康夫首相があいさつしました。

久間氏、暴言撤回拒む

「原爆投下しょうがない」


 昨年、米国の原爆投下を「しょうがない」と発言して被爆者らの批判を招き、平和式典への出席を自粛した長崎県選出の久間章生衆院議員が、九日に行われた今年の式典に出席しました。

 式典後、久間氏は「決意を新たに一から核廃絶と被爆者援護の問題に取り組みたいとの思いを込めて出席した」などと述べました。

 しかし、被爆者から発言の取り消しを求められていることについては「撤回できない」と拒否しました。

 久間氏に対し、長崎市の被爆者団体などは、今年も出席を控えるよう要請文を送るなどしていました。

 久間氏の暴言は、現職の防衛相だった昨年六月三十日の講演でおこなったもの。「原爆も落とされて長崎は本当に無数の人が悲惨な目にあったが、あれで戦争が終わったんだという頭の整理で今しょうがないと思っている」と述べました。

 被爆者をはじめ、国民の厳しい批判をうけ、翌月三日、「選挙の足をひっぱることになる」との理由で辞任。反省の言葉は聞かれませんでした。