「しんぶん赤旗」2007/7/27
長崎大水害から25年
犠牲者を追悼

 長崎大水害から二十五年を迎えた二十三日、田上富久長崎市長は「原爆の悲劇と大水害の恐ろしさは絶対に忘れてはならない」と防災無線で市民によびかけました。市内にはサイレンが鳴り、市民は犠牲者に黙とうをささげました。

 水害で被害を受けためがね橋周辺では、犠牲者の冥福を祈り、このできごとを忘れまいと「長崎大水害復興二十五周年祈念事業 第五回中島川石橋群灯(キャンドル)点灯式典」(中島川流域委員会主催)が行われました。
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 会場には慰霊の二千五百個の灯ろうが並べられ、集まった市民らが灯ろうに火をともしました。 被害を受けた諏訪小学校(当時は磨屋小学校)の子どもたちの歌やオカリナの演奏などで犠牲者の霊を慰めました。

 長崎大水害は、八二年七月二十三日、集中豪雨が長崎を襲い、総雨量五七二mm、長崎市に隣接する長与町では一時間で一八七mmという観測史上最大の雨量を記録。各地で土砂崩れが発生し、川が氾濫。死者・行方不明者二九九人、被害住宅三九、七五五戸という甚大な被害をもたらしました。

 中島川流域では、満潮と重なったこともあり、住宅や商店などが二メートル近く水に浸かるなどの被害がありました。中島川にかかる石橋群は、めがね橋と袋橋以外は全部流失(めがね橋は一部損壊)、水害後再建されました。