元ウエルター級チャンピオン
小林秀一さんが県委員会に来所
「世界大会・青年のつどい」の協力要請に


 4月12日朝、ボクシングの元ウエルター級チャンピオンの小林秀一さんが、党長崎県員会の左から堀江県議、小林氏、山下県委員長事務所を訪れました。

 小林さんは「核兵器なくそう・世界青年のつどい07」準備委員会の、委員長として、党長崎県委員会に協力要請するためです。
 
 県委員会は、山下満昭県委員長と堀江ひとみ新県議が対応。小林さんが、「青年たちが被爆者から話を聞く企画をぜひ、成功させたい。被爆者の紹介など、協力してほしい」と要請しました。

 山下委員長と堀江県議は、「青年の企画を成功させることは、将来を考えても大切。可能な協力は惜しみません。ともに頑張りましょう」とこたえ、懇談しました。

 小林秀一さんは、東京工業大学卒業で、ボクシングで日本チャンピオンになったあと、4代目として家業の豆腐店を引き継いでいます。

 詳しくは「しんぶん赤旗」の下の記事をご覧下さい。

 

2006年10月16日(月)「しんぶん赤旗」

ゆうPress

小林秀一(元日本ウエルター級チャンピオン)

第2の人生に挑む

豆腐屋4代目 天体も平和活動も


 家業の豆腐店を継ぎながら、プロボクシング・日本ウエルター級チャンピオンになった小林秀一さん(32)が現役を正式に引退しました。二年前からは、ゆうPressの「お悩みHunter」の回答者でもあります。これからは、家業に業者、平和活動、ボクシングやボートのコーチ、天体観測など、時間が足りないほど忙しそうです。(伊藤悠希)


難しい引き際

 「目標に向かい一日一日努力し、目標に到達するという経験ができたことはこれからの人生に大きな糧となると確信しています」。今月二日、東京・後楽園ホールで行われた引退セレモニー。秀一さんは集まったファンに向かって引退のあいさつをしました。

 プロボクサーとして九八年にデビュー、翌九九年に全日本ウエルター級新人王。二〇〇三年には日本王座につきます。「ボクシングの練習はきつかったけれど、個人競技だから自分で何とかしなきゃいけない。人間の本能を呼び覚ましてくれた」と振り返ります。

 右目が網膜裂孔になり、防衛戦で敗退。復帰を考えていましたが、白内障に。視界は水中に潜ったように見えます。コーチと話し合って引退を決意しました。「目の調子が悪く、引退試合もできない状態でした。チャンピオンになると引き際が難しいんですよね」

ボクサーの道

 ボクシングにあこがれたきっかけは高校の時、テレビで見た元世界フライ級チャンピオン・レパード玉熊の試合。挑戦者のレパード玉熊がチャンピオンに勝ちました。「スポーツは強い者が勝ち、弱い者が負けるものと思っていた。普通、チャンピオンが勝つのに下克上的なところにおもしろさを感じた」

 一浪し、東京工業大学理学部地球惑星科学科に入学。大学四年間はボート部にあけくれました。合宿所に寝泊まりし、午前四時半から七時まで朝練。放課後は自主トレーニングです。ボート部での体力づくりと生活スタイルが、ボクシングをする基礎になったといいます。大学時代のボート部の友人は「主将だったのでメニューを考え、ひっぱっていくタイプ。部内でも群を抜いて頑張っていた。おもしろいやつなのでみんなに好かれていた」と当時を語ります。

 ボクシングをやろうと決めたのは大学四年の春。レパード玉熊がジムを開いていることを知ったからでした。

 四年の夏にボート部を引退し、合宿所から久しぶりに家に帰ってみると、豆腐屋の従業員は不況のため辞め、父親が午前一時から午後九時まで働きづめ。秀一さんも午前四時に起きて手伝った後、大学へ行かなければなりません。「自分が豆腐屋を継いで両親を支えたい」。秀一さんは豆腐屋を継ぐことを決心しました。

 大学卒業後、家業の小林豆腐店の四代目に。その一日後にレパード玉熊ボクシングジムの門をたたきました。深夜一時ごろに起きて、豆腐を作り、販売。昼に仮眠を取り、ボクシングジムで夕方までトレーニング。そんな生活スタイルでした。

経営を学んで

 いま、東京商工団体連合会(東商連)の青年部協議会議長、全国商工団体連合会(全商連)の青年部協議会副議長を務めています。全商連青年部の議長・中村顕治さん(35)は「『消費税をなくす会』や『九条の会』など、世の中をよくするために頑張りたいと行動しています」と評価します。

 若手豆腐屋の勉強会に参加したり、経営方法を学んだり研究熱心。「いまは経営のことを考えるのがおもしろい」と話します。秀一さんのアイデアで販売している納豆の種類を増やしたら売り上げが伸びました。「売り上げが上がるのが見えてくるとおもしろいんですよ」。少しずつ目標に向かっています。

 「小林豆腐店を発展させていくトレーニングをしているんでしょう」と父親の秀雄さん(65)。秀一さんの祖父である二代目は戦争中、仲間に助けられ命拾いしました。つぶせない思い。秀雄さんは秀一さんが、その意思を継いでいくと期待しています。

コーチに挑戦

 小学生の時に見たハレーすい星が宇宙に興味を持つきっかけになった秀一さん。月に一回「天体観望会」を開いています。自分でつくった望遠鏡を屋上に設置し、地域の人を呼んで楽しみます。レンズは自分で磨き滋賀県まで検査を受けに行きました。

 平和活動にも熱心です。昨年初めて原水爆禁止世界大会に参加。「継承していかなきゃ」と感じ、現在は東京の被爆者に会う活動に毎月参加しています。原水爆禁止日本協議会の前川史郎さん(27)は「平和活動を粘り強く続けていこうという姿にボクシングのトレーニングが生きていると感じます」といいます。

 ボクシングも豆腐屋の仕事も業者、平和活動も手を抜かない姿勢を貫く秀一さん。今後の活動について―。

 「経営も製造もちゃんとやらねば。おいしい豆腐を作るにはどうすればいいか、日々挑戦です。今度はおからを使ってお菓子を作りたいですね。業者、平和活動も天体観測もきちんと取り組みたい。ボクシングも後輩に教えたいし、応援に行きたい。ボート部のコーチもできたらいいと思ってますが、いまはそこまで時間が取れないですね」

 母親の美津子さん(62)は「秀一は忙しくても頼まれたことは断らずきちんとやっています。子に恥じない親にならないとね。お互いが鍛えられますよ」と笑いました。