「しんぶん赤旗」2006/8/10

核兵器の全面禁止条約を

原水爆禁止世界大会が閉幕

国連と各国へ手紙 クリックすると手紙全文に

長崎


 「長崎を最後の被爆地に」―。長崎市への米軍による原爆投下から六十一年を迎えた九日、同市は追悼とともに、核兵器廃絶の新たな決意に包まれました。二千五百人が参加して原水爆禁止二〇〇六年世界大会・長崎が開かれ、原爆投下時刻の午前十一時二分、長崎市主催の平和式典では約四千六百人の参列者が黙とう。街中にサイレンや教会の鐘が響きました。


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(写真)日本と世界の人々が手をつなぎ、核兵器をなくそうと誓い合った原水爆禁止2006年世界大会・長崎=9日、長崎市

 原水爆禁止二〇〇六年世界大会・長崎の会場の長崎市民会館体育館は、「長崎を最後の被爆地に」と核兵器廃絶を求める新たな決意に包まれました。

 二日の国際会議から世界大会・広島、同・長崎と続いた原水爆禁止世界大会は、草の根からの運動と諸国政府、国連を結ぶ「すみやかな核兵器の廃絶のために」署名をはじめ、世界各地で多様な活動をくり広げることを確認。長崎では満場の拍手で「核兵器全面禁止条約締結へすみやかな交渉開始を―国連とすべての加盟国政府への手紙」を採択し閉幕しました。

 九歳と五歳の子を連れて初参加の福岡県直方市の女性(39)=看護師=は「被爆体験を受け継ぎ、この子たちにも伝えたいと実感しました。地域でやっている署名運動にも力が入ります」と語っていました。

 主催者報告をした大会議長団の安斎育郎さんは被爆者、若い世代とともに「核兵器のない平和で公正な世界」へ世界的な運動をさらに前進させようとのべ、日本の運動の役割を強調しました。

 入退院を繰り返している被爆者で日本被団協代表委員の山口仙二さんが「核兵器をなくすまでがんばります」とのべると、ひときわ大きな拍手に包まれました。

 長崎被災協の谷口稜曄(すみてる)会長があいさつ。宮原哲朗弁護士が原爆症認定集団訴訟への支援を訴えました。

 秋の国連総会に向けて五百万を上回る「すみやか」署名を集めようとの大会実行委員会の提起に参加者は割れるような拍手でこたえました。