「しんぶん赤旗」2006/6/11
原爆症申請6人に
 新たに3号被爆の女性

 日本被団協がすすめている原爆症認定集団申請(二次)で、長崎県内では九日、新たに長崎市在住の女性一人が同市役所を訪れ申請書類を提出しました。
 長崎原爆被災者協議会(被災協)の呼びかけによる県内の申請は三月、四月に続き三回目で申請者は合計六人になりました。同日全国では十二都道府県の四十一人が申請、総数は百三十三人です。
 
 申請したのは、生後六カ月半のとき長崎市の北にある西彼杵郡長与村本川内郷(現長与町)‖爆心地から八`‖で被爆した女性です。
 
 女性は三号被爆者ですが、十二歳のときから腎臓(じんぞう)機能障害に苦しみ、いまも治療を続けています。五十五歳で乳がんを手術、六年がたっても治癒(ちゆ)せず被爆者に特有の多重ガンの疑いにおびえながらの毎日です。
 被爆直後、爆心地近くの浦上駅で働いていた伯父・伯母を捜しに、母に背負われて「入市」したといいます。

 記者会見で女性は、原爆症申請の制度も知らず、大阪地裁での判決のニュースで初めて被災協に相談。「いつも病気がち、午後はほとんど横になっている状態で不安です。ぜひ認めてもらいたい」と申請への思いを語りました。


 三号被爆者
 一九七四年と七六年の被爆地域見直しで拡大された「健康診断特例区域」で被爆、健康診断で特定疾患の治療が必要とされた被爆者。長崎原爆では、直接被爆を一号被爆者、二号を入市被爆者、胎児被爆を四号被爆者として区分しています。