被爆長崎から
頑張らんば9条の会
憲法記念日前に構めぐりや講演会…

 被爆地長崎の地域で活動する憲法「九条の会」が元気です。憲法記念日を前にした二十二、二十三の両日、長崎市内では、被爆遺構巡りや講演会などが行われ憲法九条の大切さをアピール。「うちの九条の会もがんばらんば」と周辺地域の九条の会にも刺激を与えています。

 毎月例会を続けている「城山九条の会」の被爆遺構巡りには、女子大生から九十歳までの約三十人が参加。被爆した校舎や樹木が残る城山小学校や近くの防空壕などを見学、案内「長崎の証言の会」の広瀬方人さんの話に「平和のありがたさ」を実感しました。(写真右)

 爆心地から八百bの防空壕で奇跡的に助かった下平作江さんが、その現場を前に「(原爆の夜)遺体の中で震えていた。翌朝外に出ると、家は一軒もなく黒こげの死体でいっぱいだった」と話すと目頭をおさえる人も。「世界中の人が九条を持てば戦争も核兵器もなくなる」との訴えにだれもがうなずきました。(写真左)
 女学生のとき路面電車の中で被爆した山下ツルヨさんは、「子どもを抱きしめたまま死んでいった母親などいっぱい見てきた。戦争反対を残りの人生の努めにします」と話しました。友人と参加した女子学生Mも、「知らないことばかりで驚き。平和の大切さを実感しました」。

 五十人が参加した市内中心部の「中央地区九条の会」の講演会。同会は昨年十一月、地方史研究家の越中哲也さんらの呼びかけで結成され、「九条で、いまもつづいている日常を守ろう」とタイトルの付いたパンフを発行しています。
 同市の寺町通りにある光源寺住職の楠達也さんが「いま、いのちを考える」と題して話します。「終戦まではいのち『国有化』の時代、国の勝手で使い捨てられた。いまはいのちが『私物化』から『商品』にされている。平和の基礎となるいのち、大切というだけでなく情操教育を」と。
 参加した男性は、「自分を育ててくれた森が火事になったとき、逃げ出さなかった『オームのアーナンダ』の話を聞き、九条を守る意味の深さが分かった」と話していました。

 爆心地に近い「うらかみ憲法九条の会」と「西浦上九条の会」は、共同で映画「日本国憲法」の上映会を開催。「アジアなど外国人の方が九条改憲を心配している」などの感想が出されました。
 同市では五月三日、「ながさき九条フェスタ二〇〇六春」を開き、平和大行進や奥平康弘氏の講演会(県九条の会)を実施。各地の「九条の会」が結集します。

「しんぶん赤旗」2006/4/26