【合併2年 対馬市で今  下】
過疎化に拍車 島の北部

 一年ぶりに訪ねた春の対馬。山々に咲くゲンカイツツジのうす桃色の輝きがひと際映えています。ところが、工事現場とコンクリートばかりが目立つ国道を北上すると街なかの様子がこれまでと違います。午後の旧役場周辺ですら人の姿はまばら、閉めた商店が少なくありません。立ち寄った銀行も人影はなく、ATM(現金自動預払機)だけでした。

人の流れが
 日本共産党の武本哲勇市議は、この二年間の変ぼうを「市役所本庁がある厳原(いづはら)を除けば、全島的に人の流れが変わった、あきれるほど」といいます。
 「かつては六町それぞれに役場があり、町長がいて県や支庁から人が来て、さまざまな業者が営業に来た」(同)と。住民も事あるたびに役場に相談を持ち込み出入りしていました。いまは、住民が支所(旧役場)に行くのはせいぜい窓口の手続きのときだけ。人の流れが消え飲食店も民宿もダメ、タクシーも動きません。支所近くの商店主は、「町あげての祭りまで減らされ、楽しみも交流もなくなった」「若者は南部に目が向き、ガソリンを入れる場所まで変わった」と嘆きます。
 「入札はすべて厳原」(建設業者)「支所では営業にならない」(納入業者)|。仕事と交通の便がよく、学校と病院があり、買物ができるという三条件が住民の定住地を決めます。合併がその条件を破壊し、市北部(特に上対馬、上県、峰、の旧三町)の過疎化に拍車をかけているのです。
 合併前、旧六町の合併協議会では、暮らしや福祉に関することはことごとく「合併後に検討する」とされていました。

制度の後退
 二年がたち、「保育料値上げ」「敬老無料バスの廃止」「高齢者世帯宅配給食の大幅カット」「高校生の通学費補助廃止」「運動公園多目的広場使用の有料化」「合併浄化槽への補助金見直し」など、後退した諸制度は各種補助金カットを含めると百項目以上です。「『負担は軽く、サービスは高く』なんて死語ですよ」(市職員)。「息子は本土の高校にやるつもり」「保育料が五割もあがっていやになる」と市民の悲鳴が聞こえます。
 二千二百万円だった旧六町の商店会補助金。、合併翌年から大幅削減が続き、新年度の市の助成はわずか六百八十万円、三分の一以下になりました。ある商工会幹部は「市民サービスの独自イベントも何もできない」とショックを隠せません。
 「対馬六町の合併はもともと無理でした」|同市幹部のささやきが空虚に響きます。それなのに同市は、行財政改革と称して今後十年間に約三百人以上の職員を削減し四百数十人体制にする予定。市の広さを

考慮すればたいへんな計画です。
 合併からわずか二年、「なぜ合併したのか、県にだまされた」|。合併協議会メンバーの一人が胸中を吐露しました。

産業立て直し 共産党が提案
 日本共産党と武本市議は、「離島の対馬が生き残るには国・県の抜本策が不可欠」とした上で、@住環境整備や保育所など、公共事業を生活密着型に切り替える A水産業の振興|大型まきあみ漁の規制、まぐろや真珠養殖などへの支援 B農林業の振興|しいたけ栽培、地産地消農業の推進 C観光振興への支援など、第一次、三次産業を基礎に地元産業建て直しを訴えています。(おわり)

「しんぶん赤旗」2006/4/5

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