患者のたたかい続く
三井松島じん肺訴訟和解 原告らが集会

 「じん肺防止に努めることを誓約します」と、被告企業が謝罪した三井松島じん肺訴訟の二十日の「集結共同宣言」調印式。引き続く「全面解決報告集会」でも、参加した原告や遺族の表情に笑顔はありませんでした。(長崎・田中康)

   
 「訴訟の四年間に十五人が亡くなった。せめて一年前に解決していたら四人はこの場に参加できた…」「勝利したとはいえ、原告患者のじん肺とのたたかいは続く…」。井上久男・訴訟原告団長(74)のことばがすべてを語ります。

 旧池島炭鉱(長崎市)や旧大島炭鉱(西海市)で働き、じん肺にかかった元従業員と死亡した元従業員の遺族が、加害企業にたいして「謝罪と補償、根絶の対策」を求めた同訴訟の原告は百九十人(元従業員数)にも。
 一年前、長崎と福岡両地裁は、原告の主張を全面的に認める和解勧告を行いましたが、被告・三井松島産業と同松島炭鉱は責任を認めず、判決を求めました。
 そのため厳しい暑さや寒さのなか、被告企業や取引銀行にたいする訴え、繁華街での宣伝や署名の呼びかけなど、原告患者は酸素ボンベを抱えながら、なお長期のたたかいを余儀なくされたのです。支援者の中にもじん肺患者が少なくありません。過酷な、文字通り命をかけた行動によって、「時効差別のない全面救済の判決を求める署名」は全国で四十万に達しました。

 これらの運動と犠牲のなか、長崎地裁(昨年十二月)は、時効まで持ち出した被告企業の姿勢を「権利濫用」と断罪し、原告完全勝訴の判決を言い渡しました。
 こうした経過を経た同訴訟。「集結宣言」に至ったとはいえ、原告患者の高齢化や、いまなお全国で年間千人を超す重症じん肺患者がつくられている現状からみれば、加害企業の決断がなお遅きに失したことは明らかです。

 旧大島炭鉱の採炭現場で十六年間働いてきた西口正之さん(72)はいいます。「亡くなった仲間の顔が一人ひとり浮かんでくるんです。償われるとはいえ複雑です。私たちは、これからも(じん肺を)背負っていくんですから」。ー咳(せき)や痰(たん)が年々ひどくなり、酸素ボンベなしでは暮らせません。「まわりもたいへんなんです」と家族を思いやる間も、苦しい咳払いが続きます。

「しんぶん赤旗」2006/3/22