田村貴昭衆院候補が、アスベスト(石綿)鉱山の元労働者や家族らと懇談
  −長崎市の旧三和町−

 長崎市入りした日本共産党の田村貴昭衆院比例候補は十五日、同市蚊焼(かやき)町(旧三和町)で、戦時中のアスベスト(石綿)被害にかかわって地域住民と懇談しました。
 
 アスベスト被害の聞き取りや健診などに取り組んでいる津村国弘市議(旧香焼町選出)も同席しました。
 
 戦時中の石綿鉱山として知られる同地域。住民が学徒勤労報国隊などで動員され採掘や選別作業に従事していました。終戦から六十年経ったいまも、「体調がすぐれない」と訴える人が多く、「石綿肺」と診断された人も出ています。

 この日の懇談では、「病院で『蚊焼の人は肺ガンが多い』と言われた」と証言する人のほか、「(相談会で)戦前の石綿の曝露は対象外といわれ労災申請していない、『石綿新法』で救済されないのか」などの質問が出されました。

 田村氏は、その場から日本共産党国会議員に電話をかけ、「新法は(石綿を浴びた)年代で線を引いており、救済にはならない」と確認。「新法」の問題点を指摘し、「すべての被害者を国と加害企業の責任で救済するため引き続き力を尽くします」と決意をのべました。

 地元の人たちの証言によれば、旧三和町栄上や布巻地区などに広がっていた同鉱山は、軍需工場として営まれ、親会社の事業所別に「東京山」「明治山」などと呼ばれ、あちこちに選別作業小屋が点在していました。
 当時、石綿岩を石綿石とボタに選別し、トロッコでボタ運搬に従事していたという七十四歳の男性は、「それぞれの選別小屋に、三十人ほどが働いていた。朝鮮人労働者もいた」といいます。

「しんぶん赤旗」2006/2/17

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