アスベスト対策とりとあげた津村市議が、石綿鉱山の元労働者や家族らと懇談
当時の作業実態や石綿肺、ぜんそく症状の証言相次ぐ


 終戦当時まで長崎市布巻町(旧長崎県三和町)で採掘操業していた「アスベスト(石綿)鉱山被害の実態調査を」と、日本共産党の津村国弘市議が定例議会で取り上げたことで十七日、同議員と鉱山の元労働者、家族が懇談しました。
 同市蚊焼公民館での「石綿被害を考える懇談会」には約二十人が参加、「じん肺・アスベスト根絶三菱長船の会」の代表も同席し交流しました。
 地元の人たちによれば、布巻町一帯(栄上地区、布巻地区など)にあった同鉱山は、事業所別に「東京山」「明治山」などと呼ばれ、点在する選別作業小屋でそれぞれ三十人ほどが働き、朝鮮人労働者もいました。
 一九四五年四月から終戦まで、学徒勤労報国隊として「東京山」で級友三十二人が勤労奉仕させられたという中川稔さんAGは、「当時十三歳から十四歳。発破で崩した石綿岩を石綿石と石ボタに選別し、ボタをトロッコで(現行政センターの)窪地に捨てる作業を繰り返した」「すでに十四人が死亡、入通院の仲間も多く、これからが心配」と証言します。
 「東京山」で二年ほど働いたという女性AIは、「ずっとぜん息が治らず、二〜三年前病院で『石綿の場所に行かなかったか』と聞かれ精密検査を三回受けた。石綿肺の健康管理手帳はもらっていない」と語りました。ぜん息症状で通院したり、レントゲン検査で胸にカゲがあるといわれた人が何人もいました。
 津村市議は、今後とも聞き取りや調査、必要な対策をすすめたいと話しています。

「しんぶん赤旗」2005/9/22