私はいいたい
じん肺原告の76%が「石綿肺」予備軍。明白な公害で国に責任

元三菱長崎造船じん肺訴訟(一陣)の原告団長 太田哲郎さん


 いま大問題になっているアスベスト(石綿)汚染。街のいたるところに、アスベストを使用したビルや体育館があります。ビル解体など、今後の対策しだいで影響はさらに広がるでしょう。
 私が四十三年間勤めた三菱重工長崎造船所では、協力会社による石綿の断熱工事のほか、広い範囲の職場で石綿を反物状や大きめの座布団状にした断熱材として日常持ち運ぶなど、身近に使っていました。危険性について、何も知らされないままに。
 「中皮腫」で死亡した人が、労災に認められるかどうかが焦点になっています。当然のことです。しかし石綿汚染の実態は、その程度の規模でわい小化できるものではありません。三十年以上も前から危険性が指摘され、家庭内や、地域に広く存在する公害そのものです。
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 「石綿肺|『胸膜肥厚(きょうまくひこう)・石灰化』|経過観察」。厚生労働省が発行した健康管理手帳に記載されている、私の「石綿肺」の病名です。
 「胸膜肥厚」とは、通常のじん肺と違い「アスベスト小体」とよばれる一嵐の繊維状の物質が、肺に突き刺さり厚くなっている状態のこと。「石綿肺」診断の指標の一つです。持続する胸痛や息切れのほかは、自覚症状がなく気付いたときは手遅れ状態。発症から死亡まで四年という低い生存率で、治療の重点は痛みの緩和です。
 私の職種は「配管艤装(ぎそう)」でした。石綿は断熱材として、蒸気などが通る鋼鉄製パイプを覆ったり、溶接やガス切断器使用時の延焼防止用具として、約二十年間ほぼ毎日使いました。造船現場は、狭い機関室の中での混在作業。職種に関係なく、飛散した石綿に曝露(ばくろ)する可能性は大です。
 温かく、徹夜作業の仮眠で毛布がわりにも使いました。危険な物質であるとは露知らず|。
 「石綿肺」と診断されたのは、定年退職直前のことでした。所属する労働組合の「じん肺自主健診」で「管理U」と診断され、白く濁ったレントゲン写真の説明を受け、初めて「石綿肺」を知ったのです。
 じん肺訴訟第一陣原告七十七人のうち「石綿肺」の認定患者は三人。しかし、専門医が全原告の診断書を分析した結果、「石綿肺の所見あり」とされたのは五十九人(76.6%)にものぼりました。「石綿肺」の患者予備軍です。
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 アスベスト(石綿)にさらされ、その微粒子を吸い込んだ「石綿肺」が、自覚症状を伴って発症するまでの潜伏期間は三十年から四十年といわれます。今後、「石綿肺」の患者が膨大な数にのぼることは容易に予測できることです。
 石綿汚染の行き着く先は、肺ガンか、胸膜などに発症する悪性「中皮腫」。いまのところ有効な手だてはありません。
 世界の先進国が、石綿の危険性を早くから重視し対策をとってきたのにくらべ、日本政府は石綿使用に寛容でした。「全面禁止」とせず、在庫使用や特例製品を認めるなど対策をサボり続けてきたのです。早く情報を知ることもできたし、医・科学のレベルも高く、その責任は免れません。企業はもちろん、国や自治体が必要な具体策を立て、直ちに手を打つことが求められています。

「しんぶん赤旗」2005/7/27