「核兵器廃絶と戦争のない世界」訴え


 「被爆六十年、改めて被爆体験を聴こう」と、長崎市で活動する原水爆禁止長崎協議会(長崎原水協)は二十一日、県勤労福祉会館で「新春平和講座」を開き、障害と被爆の二重の苦しみを背負ったろうあ被爆者・山崎栄子さん(77歳)の被爆体験を聞きました。
 生れ付き耳が聞こえない山崎さんが被爆したのは十八歳のとき。原爆の閃光を見たのは疎開先の時津町、その日の夕刻に自宅の山里町(現原爆資料館付近)に戻って再び入市被爆しました。
 山崎さんは爆心地に向かう途中、内臓が破裂した人や黒焦げになったおびただしい数の死体、みるも無残な町の惨状を目にします。しかし、叫び声もうめき声も聞こえません。放射能による後遺症や原爆の怖さを知ったのは被爆から三十年後。繁華街で偶然目にした原爆写真と、その後の夫との会話でした。
 山崎さんは、「姉が遺体で見つかり母が泣き叫んでいた、私には何が起こったのか分からず苦しかった」と、つい先日のようにその日の出来事を表現。「世界中に核兵器があり悲惨な目に遭うのは子どもたち。戦争は絶対あってはならない」「(ろうあ被爆者の)被爆体験を語るのが私の使命」と、ほとばしる思いをからだいっぱいで訴えました。
 参加者の一人は、「知る権利さえ保障されていなかった障害者の、当時のくやしい思いが伝わってきました」と感想をのべていました。
 県ろうあ福祉協会の女性二人が通訳を担当しました。

長崎原水協の新春平和講座
ろうあ被爆者・山崎さんが被爆体験を語る

「しんぶん赤旗」2005/1/23

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