〃有明海の漁とくらし〃を撮り始めて三十年。「筑後大堰や諫早湾干拓事業など、さまざまな要因が重なり漁業不振が深刻化してきた」と、有明海異変に警鐘を鳴らしてきた写真家・中尾勘悟さん(70歳)‖長崎県大村市在住‖。大村市のほか東京や佐賀県鹿島で、写真展「海のにほひ|有明海の漁とくらし」を相次いで開きました。有明海に寄せる思いを聞きました。 長崎県 田中康記者
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 「沖合いに乱舞する野鳥の群れが、上げ潮に追われて堤防に近づくと、籠をいっぱいにした漁師たちもまた岸に戻ってくるんです」|。まだ諫早干潟が目の前に広がっていた二十数年前、この不思議な光景に魅せられ、毎日、小野島の堤防(諫早市)に通いました。
 有明海で漁を続け、生活している人たちと話しているうちに、自然環境によってかわる漁法の豊かさに驚き、そこに寄り添って生きる漁師たちの姿に圧倒されました。
 よく見たのは、「待ち網漁」とか「持ち網漁」「竹羽瀬漁」など。干潟の漁法だけでも五十以上、漁船漁業も潮流や潮汐の変化に合わせて約二十種類、一般の漁法を含めると百は下りません。
 「跳ね板」(けり板)で潟の上を自在に滑り、竿をたくみに操ってムツゴロウを引っ掛ける漁はよく知られていますが、驚いたのは「足跡(あしがた)はぜ漁」。秋の夜、潮が引きかけたころ、潟に足形を深く残し、沖に向かってジグザクに歩きます。潮が引き、足形の水溜りに取り残されたハゼを拾うんです。わくわく、どきどきでした。
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 いまの諫早湾干拓事業に変更される前の「長崎南部地域総合開発」(南総)の最初のころは、不安はあっても黙って見ていました。一九八〇年代になるとだんだん心配になりました。「閉め切られるんじゃないか。何かに残したい」と、本気で撮り始めたんです。(八九年に写真集「有明海の漁」を出版)
 干潟にある無数の生息穴。そこに棲むムツゴロウやトビハゼ、カニ、貝などの底生生物が、潟泥一bの深さまで酸素を運び、有機物を分解し、海水を浄化します。
 堤防が閉め切られ、潮がこなくなれば干潟はなくなりこうした生物は生きていけません。潮受け堤防閉め切りで、潮流が変わり潮の干満が小さくなったうえに、堤防の外に汚水が流されれば酸欠域が広がります。生きものが減ると海底はヘドロ化するんです。こんなことは漁業者が一番知っていることですよ。何回も何回も聞きました。
 有明海が死ぬのか、生きるのか、いまが分かれ道だと思います。(国や県も)それぞれ言い分はあると思いますが、(仮処分決定が出された)いまは、海を見直し改善するチャンスです。
 沿岸の漁業者が、「元の海に戻して欲しい」と願う豊穰の海・有明海。その「ゆりかご」と言われた諫早湾。多くの人たちに有明海の価値の大きさを見直してほしいと思います。
有明海の不思議撮り30年
 写真家中尾勘悟さんに聞く
「しんぶん赤旗」2004/10/1