41日、長崎県佐世保市の県道日野・俵ガ浦線が供用開始になりました。佐世保市俵ガ浦半島の8ヶ町、約4800人の住民にとって、同道路は佐世保市街地と居住地を結ぶ唯一のものです。その道路が米軍赤崎貯油所を大きく迂回せざるをえず、毎日の通勤・通学にも不便をきたしていました。そのうえ、1989年、米軍と日本政府は県道近くの基地内に医療用倉庫建設を突如として始めました。8ヶ町町内会は、「ジョスコー(赤崎貯油所)基地倉庫建設反対連合」を組織し反対運動を起こしました。掲げた要求は、@県道改良、A倉庫内に何を貯蔵するのか検証させよ。というものでした。この闘いで建設工事が一時中断する事態になりました。しかし福岡防衛施設局が住民側の二つの要求を全面的に認めたために、1992年に同倉庫は完成し、倉庫内検証は実現したもの、県道拡幅はいっこうにすすみませんでした。日本共産党山下千秋市議は、佐世保市の基地返還6項目のひとつに盛り込ませるように議会で要求し、1998年佐世保市も市議会も新返還6項目を決議しました。日本共産党長崎県委員会も毎年の対政府予算要求に必ず盛り込ませ独自の政府交渉も続けてきた結果、とうとう赤崎貯油所一部返還が実現し、道路改良もすすみ、今度の道路供用開始に到ったものです。俵が浦半島住民のタクシー運転手は、「一部ではあるが、しかもやっとという感じだが、スキッと通れるようになってよかった」と語っています。

住民の長年の要望が実現、住民と共産党の共同の成果
佐世保市 県道日野・俵ガ浦線が供用開始

「しんぶん赤旗」2004/4/4