原爆症認定の却下処分取り消しを求めた全国集団訴訟で、長崎県内に住む二十三人の被爆者が長崎地裁に訴えた(うち一人は提訴後死亡)訴訟の第四回目の口頭弁論が二十五日、同地裁で行われました。
 法廷では二人の原告が意見陳述にたち、被爆の状況や、その後五十八年間の後遺症による苦しみを語りました。
 爆心地からわずか九百bという近距離で被爆した長山敏さんは、放射性物質が大量に存在する爆心地を歩き回った様子を証言。「十二歳で被爆した私は急性症状で苦しんで、辛い思いをしてきました。その後もずっと体が悪くて思うように働くことができなかったのです」と、いまだに続く病気の苦しみを訴えました。
 山口初江さんは、爆心地から四・五`地点で被爆。その翌日から三日間、伯母を探して爆心地に入りました。その後、下痢・嘔吐(おうと)・脱毛の急性症状にみまわれます。「体に爆弾を抱えております。この先、いつまで生きられるか不安です。一日も早く原爆症と認めてください」と山口さんが訴えると、法廷は静まりかえりました。
 公判後、開かれた報告集会では中村尚達弁護団長が、「意見陳述は、原爆投下の際の地獄絵図を聞いている者の胸に描き出した」と話し、今後の論戦に向けても全力をつくす決意を語りました。
原爆集団訴訟。口頭弁論で原告二人が意見陳述
「しんぶん赤旗」2003/11/26