長崎・男児殺害事件 現地の衝撃
「自分にできることは」

                          「しんぶん赤旗」2003年7月13日
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駿君が亡くなった立体駐車場の現場には花束が手向けられ、手を合わす人たちがたえません=12日、長崎市

 長崎市の男児誘拐殺害事件の現場となった立体駐車場。百二十八段あるらせん階段を上りきり、屋上から下の地上を見下ろすと「ザワ」と寒けが走り、身震いしました。事件から二週間近くたったいま、現地に走る衝撃を見てみました。

 社会部・高間 史人 菅野 尚夫 長崎県・田中康記者

 子「うちの学校の子じゃないよね」

 父「絶対ないよ。信じよう」

 少年が通う中学校で育友会(PTA)会長を務める男性は、少年補導の前日、二年生の二男とこんな会話を交わしたといいます。

思い裏切られ

 「犯人が履いていた靴は中学校の指定を受けているもの」「犯人は中学生らしい」―。少年が補導される数日前からの報道やうわさが、市内の中学生に不安を与えました。少年の通う学校周辺に捜査の警察官やマスコミの姿も見られ、生徒たちも動揺していました。

 そして、今月九日朝、職場体験学習にいくための集合場所に来た少年が、ほかの二人の生徒の目の前で警官に同行されたのです。「信じよう」という親子の思いは裏切られました。

 少年が補導された翌朝、マスコミの取材攻勢を避けようと教師・父母らが通学路に立ちました。登校してくる生徒たちはうつむきがちで、硬い表情。父母が「おはよう」と声をかけても返ってくる声は小さい。始業後に少年のクラスに行った育友会会長が目にしたのは、しずみきった教室のなかに、ぽっかりとあいた彼の席でした。

 校長らによると、警察からは少年を同行することについて、連絡がなかったといいます。

 保護者からは、こうした警察のやり方が生徒のショックを増幅しているとの批判の声が出ています。ある母親は、「目の前で友達がつかまったのを見た子はどんなにショックだったことか。学校に事前に知らせて対策をとるなど、もっと子どもへの配慮はできたのではないでしょうか」といいます。

嫌がらせ殺到

 少年の補導後、学校には嫌がらせが殺到しています。「一つの電話が終わって、受話器を置くとすぐまた鳴るという状態。半分は無言です。あとの半分はいやがらせ的なもの」と、会見した教頭は疲れ切った表情で語りました。

 生徒たちに対するいやがらせも頻発しています。わざと体をぶつけてきたり、制服の胸の校章を引っ張って、「○中の生徒か」と脅しめいた言葉を投げつけたり。

 育友会の役員の一人は「いまは嫌がらせや事件のショックから子どもたちをどう守るか、どうケアするかで手いっぱい。こんな嫌がらせが平気でやられる社会のあり方自体が、問題なのではないかと思えてきた」と語ります。

 そんななかでも、事件を繰り返さないためにどうしたらいいのか、人びとは思いをめぐらしています。

 小学校時代の少年を知る教育関係者は「自分にできたことがあるのではないか」と思い悩んでいます。「あの子はちょっと様子がおかしいと思うことがあっても、忙しさのなかでそのままになってしまいがちです。もしあのころ彼の話をていねいに聞いてあげていたら、ひょっとしたら、こんなことにはならなかったかもしれないと思うと、苦しくてたまらない」

 育友会会長は保護者会で「駿君は『もっと親がしっかりしろよ』と教えてくれた」と語り、学校や地域と協力して子育てをと訴えました。

 衝撃の中から何をつかみとるか。地域の人たちは苦悩しています。


駿ちゃんの命、なぜあの子が

シグナル見えてなかった

関係者、痛恨の思い

長崎・男児殺害


 駿君殺害現場となった立体駐車場は、昼でさえ薄暗く、排ガスが漂います。夜。この場に連れてこられた四歳の駿君はどれほど心細かったでしょうか。十二日、雨が時折強く降りつける現場には「駿ちゃんの命がムダになりませんように」と書かれた手紙とともに、たくさんの花束が添えられていました。

「なぜ…」の思い

 少年が住んでいた高層マンション。十二階から外をみると、滑り台のある風景が目に入ります。一九九一年七月、一歳未満のころから住んだ少年の幼いころの遊び場でした。

 「まさかあの子が。体が震えました」。幼いころから少年を知る女性はいまでも信じられない思いです。「『おはよう』『お帰り』と声をかけると、返事が返ってくる。きちっとあいさつできる子どもだった」といいます。「成績上がったよ」とみせに来たこともある「ご近所からかわいがられた」小学生でした。わが子のように思えました。

 少年を知る女性の「なぜ…」の思いは強いものがあります。

 少年は幼稚園から高校までの私立一貫校に小学二年まで通い、その後公立小学校に転校しました。転校の理由は分かりません。

 最近では「母親にかわいがられ、親子三人、仲良く買い物などに出掛けるのをよく見かけました。家庭内暴力とか、体罰など聞かない」と近所の女性はいいます。

 気になる行動もありました。時々キレると教室から飛び出し大声を出しました。注意されても、非を絶対に認めようとしませんでした。

 少年が住むマンションの住民は、この地域での出来事を克明に記録していました。一九九九年、二〇〇〇年ころに小学校低学年の子どもたちがエレベーターなどでいたずらされる事件が書かれています。「そのころ、少年は小学三―四年生。もしあのとき、被害に遭っていたならばトラウマになってはいないか…」。

 少年が通う中学の校長は「普段の行動から事件につながるシグナルが見えてなかった。ふがいなさを真正面から受けとめたい」と痛恨の思いを記者会見で語りました。

それぞれの衝撃

 子を持つ親も、子育てが終わった親も、思春期真っただ中の少年と少女たちも、「ひとごとではない」と衝撃と向かい合っています。

 十二歳の女子中学生の母親が話してくれた言葉が印象的でした。

 「本が好きで、おとなしい普通の子―などと事件を起こした少年像について伝えられると、不安で仕方がありません。自分の子もそうだからです。常々思うことは成長を待ってやる。その子なりの育ちを見守ること。子どもの気持ちに寄り添うことだと思います」