58年の苦しみ伝えたい
原爆症認定求め長崎県では12人が提訴
 長崎原爆被災者協議会(長崎被災協、葉山利行会長)を通して、国に原爆症の認定申請を行い却下された被爆者十二人が十二日、処分の取り消しと精神的苦痛への損害賠償を求める訴えを長崎地裁に起こしました。四月の第一次(三人)に続く第二次集団提訴です。
 訴えたのは長崎市の浦川學さんら県内に住む被爆者十二人で、胎内被爆の男性一人も含まれています。これで県内の集団提訴は、合計十五人(うち一人は提訴後死亡)となりました。
 地裁前には原告や家族、弁護団、支援者ら約五十人がかけつけ、この日の提訴を見守りました。 爆心地から二・一`の自宅で被爆。倒壊した家の下敷きになり、三十年近く心臓や肝臓疾患に苦しんできた木村不二男さんは、「(原爆症)認定率が余りに低いのはなぜかと思う。後遺症はずっと続いており、生きているうちに認めてほしい」と提訴への思いを語りました
 支援にかけつけた、長崎原爆松谷裁判の元原告・松谷英子さんは、「裁判は時間がかかりたいへんだけど、一日も早く認定を勝ち取るよう、からだを大事にしていっしょにがんばりましょう」と原告団を励ましました。
               「しんぶん赤旗」2003年6月13日全国面

 十二日、「国は被爆者が死ぬのを待っているのか|」と、原爆症の認定申請を却下された長崎県内の被爆者が、長崎地裁に処分の取り消しと損害賠償を求め集団提訴しました。(第二次提訴)
 訴えたのは長崎県内に住む五十七歳から九十歳までの被爆者十二人(男性八人、女性四人)で、爆心地からの距離が一・五`から四・六`地点での直接被爆者のほか、胎内被爆者や入市被爆者も参加しています。
 提訴後の会見には入院中の原告を除く五人の原告・家族も出席。弁護団の原章夫事務局長は、「浴びた放射能が少量でもガンの発生割合は高い。入市被爆も過小評価されている」と、原爆放射能の影響を被爆地までの距離によってはかることの誤りを指摘しました。
 原爆の閃光や爆風をさえぎるものが何もない三・八`地点で被爆(当時九歳)し、直後の「黒いガタ雨」を浴び、激しい下痢と脱毛に見舞われた浦川學さん@Iは、「一年のうち大腸ガンと肺ガンで二回も手術を受け、友人から『それは異常ばい』といわれた。医者も『原爆によるガン免疫能力の低下、発ガンの可能性が推定される』と言っている|。いつまでこの病気を背負わんといかんのか」と、国の冷たい被爆行政と提訴への思いを語りました。
                    「しんぶん赤旗」6月14日九州版