2002年9月7日(土)「しんぶん赤旗」

原爆症認定求め第2次集団申請

15都道県で63人いっせいに


 被爆者援護法に基づく原爆症の認定を求めて六日、十五都道県の被爆者六十三人がいっせいに集団申請をおこないました。日本原水爆被害者団体協議会が呼びかけたもので、七月九日の第一次集団申請(八都道県七十六人が申請)に次ぐ、二回目の集団申請です。申請が却下された場合、処分の取り消しを求める集団訴訟を構えています。この日、申請者は支援者らとともに、各都道県庁などにおもむき、申請書を提出しました。十二月には第三次の集団申請を予定しています。


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原爆症認定を集団申請する被爆者たち。中央は小宮会長=6日、神奈川県庁

神奈川では初

“ぜひ救済を”と13人

 神奈川県では、被爆者十三人が県内初の集団申請を行いました。

 県庁分庁舎で開かれた集会には被爆者ら約三十人が参加。神奈川県原爆被災者の会の小宮悌会長は、集団申請に踏み切った理由について「原爆症の認定を求め、これまで個人で申請を行ってきたが、願いは通じず却下され続けてきた。結果が出るまでの期間が一年から一年半という長期に及ぶため、原爆症と認定されても亡くなっているケースが多い。厚労省の基準という壁をやぶり、一人でも多く被爆者を救済したい」と話しました。

 集会では、認定があることを知らずにいた被爆者や、長年隠し続けてきた被爆者、いくつもの病気に苦しむ被爆者が県内にも数多くいることが報告され、「あきらめずに国に働きかけよう」と決意が語られました。

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原爆症の認定を求めて書類を提出する被爆者=6日、広島市役所

広島で6人

第1次分と合わせ36人に

 広島県内では六人が広島市役所などを訪れ書類を提出しました。

 集団申請は七月に次いで今年二回目。あわせて三十六人が申請しました。七月以降、広島県被団協(金子一士理事長)の被爆者相談所には、入院中の人なども含め四十八人から相談が寄せられています。

 今回申請した沖田武明さん(64)=爆心地から一・六キロで被爆=は、今年二月に三度目の胃がん手術を受けました。一年以内の命と宣告され、緊急入院、全摘出手術となりました。「医師の中にも認定をためらう傾向があるなか、私の病状をがんの転移ではなく、再発と診断、原爆の影響は間違いないと認めた医師は命の恩人です」と語りました。

 胃がんで抗がん剤治療を受ける西博さん(70)=爆心地から一・六キロで被爆=は「残されたわずかな人生かもしれないが、いま立ち上がらないといけないという気持ちでいっぱいです」と細い身体を震わせながら話しました。

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原爆症の認定を申請する被爆者(左側)=6日、長崎市役所

長崎で12人

涙ながらに申請書記入

 「長年の病苦は原爆が原因と認めさせたい」「再び被爆者をつくってはならない」――。長崎原爆被災者協議会(葉山利行会長)は、長崎市(六人)と長崎県(六人)に、合わせて十二人分の申請書を提出しました。第一次分や異議申し立て者と合わせて、被爆地長崎での申請は三十一人となりました。

 長崎市役所を訪れた被爆者は、担当者に「よろしくお願いします」と関係書類を提出。自らの被爆体験を語るとともに、「国は事務的でなく、現状を見て血の通った処置をしてほしい」と申請への思いを語りました。

 被災協の山田拓民事務局長は、「きょう申請した人の多くは、第一次申請の報道を見聞きして決意した人たち。関心が高まり運動は広がっている」と語りました。

 同席した被団協代表委員の山口仙二さん(71)は、「核兵器を先制使用する動きが強まっている今、被爆の実相を世界に訴えることが何よりも重要」と、集団申請と裁判の意義を強調しました。

 爆心地から一・四キロで被爆、初めて原爆症認定を申請した執行道雄さん(73)の話

 十六歳のとき旧三菱製鋼所で被爆した。原爆によって進学さえできず、その後の人生を狂わされた。今も心筋梗塞(こうそく)で入院しているが、新聞をみてこんな制度があるのかと初めて知った。あの日のことは思い出したくない。申請書も涙ながらに書いた。国は苦しんでいる人のことを考え制度をいかしてほしい。

東京で4人

 東京では、東京都原爆被害者団体協議会の山本英典事務局長(日本被団協事務局次長)ら四人が申請しました。

 山本氏は、「自分ががんになるとは思っていなかった。被爆者はがんになりやすいと国も認めているから、被爆者健康手帳を持っている人にがん検診をおこなっているのに、がんを原爆症と認めない認定制度はおかしい」と批判しました。

 長崎の爆心地から一・六キロで被爆した毎熊弘行さん(75)は、「六人きょうだいのうち、被爆した私だけががんになって苦しんでいる。この苦しみを国は認めてほしい」と訴えました。


多くの国民の支援を

日本被団協が声明

 日本被団協は六日、第二次集団申請に当たり、声明を発表しました。集団申請を始めたことで、被爆から五十七年たったいまも被爆者が苦しみ続けていることを国民の前に明らかにし、全国の被爆者を勇気づけ、続々と申請希望者がでていると強調しています。

 アメリカの核兵器政策を容認し、原爆被害を小さく見せようとする日本政府の原爆症認定審査では、多くの却下処分が予想されるが、集団申請・集団訴訟の運動を通して、被爆者行政を変えるにとどまらず、核兵器廃絶へとつないでいく全人類的な運動にしていくと決意をのべ、多くの国民の支援を訴えています。