被爆者が原爆症認定へ集団申請
「被爆者の実態放置は許されない」「国は審査のあり方を反省し、一日も早く認定を」と、長崎の被爆者十五人が長崎市などに申請 

 「被爆者の実態を放置する国の姿勢は許されない」。

 原爆症認定を求める日本原水爆被害者団体協議会(被団協)の全国集団申請の一環として、長崎原爆被災者協議会(葉山利行会長)は九日、被爆地長崎での申請第一陣として十五人(県四人、長崎市十一人)が認定申請書を提出しました。
 今回の申請者は六十二歳から七十七歳まで。爆心地からの距離が〇・九`から四・六`地点で被爆した人たちで、多くは初めての申請です。

 長崎市役所を訪れた申請者五人は、書類の確認を受けながら申請を終え、被災協の関係者とともに、被爆直後の状況や不安でたまらない毎日を吐露しました。
 爆心地から一・五`の銭座町で被爆した山口英雄さん(70)‖長与町在住‖は、「九三年に左の肺を切り、その後三年ごとに右肺、左のじん臓を切除した。原爆との関連以外に考えられない。こういう認定制度を知っていたら申請していた。国はもっと周知すべきだ」と訴えました。

 爆心地から〇・八`地点で家族全員が爆死。別の場所にいて一命を取りとめた女性・Aさん(77)‖長崎市‖は、翌朝から家族の安否を求めて爆心地周辺をさまよい歩きました。七二年に乳がんを手術、その後じん臓も悪くなりました。今も月一回の検査を受け通院する毎日、認定制度は知りませんでした。

 二十八万五千人を超す被爆者(手帳受給者)の1%にも満たない、わずか二千百八人(長崎県内五百七十一人)にとどまっている「原爆症」認定状況−。
 そこには被爆と疾病の因果関係とともに、爆心地からの距離で被爆線量を推定する「DS86」方式という批判の強い認定基準が横たわっています。それでも制度が発足した一九五七年当時の認定率は95%でした。それが年々低下し、今の小泉内閣のもとでは20%そこそこ。昨年一月に申請したのにまだ結論が出されないものもあります。この一年間の審査では異議申し立ての77%が棄却、一年以上待たされ結論を見ず死亡した人も。

 被爆から五十七年、高齢化した被爆者がどのような病気でどれほど苦しんでいるのか国は把握していないといいます。しかしそうした被爆者を放置することは許されません。長崎の被爆者・松谷英子さんらの原爆症認定裁判でも明らかなように「DS86」の基準では説明できない」というのが最高裁の指摘です。それなのに国は、原爆被害をことさら小さく、軽く、狭くみて、書類だけで審査し、機械的に被爆者を切り捨てる姿勢をとり続けているのです。

 長崎被災協の山田拓民事務局長は、「制度出発時は国家補償的な配慮あるものだった。厚生労働省は被爆者の実態をまじめに受けとめ審査のあり方を反省し、一日も早く申請者を原爆症と認め救済してほしい」と、申請した被爆者の切実な思いを代弁しました。第二陣は九月ごろになる見通しです。
「しんぶん赤旗」7月11日