ふちせ栄子のリレーエッセイ
 「しんぶん赤旗」は九州沖縄版で、毎週土曜日、九州各県の参院選挙区候補のエッセイをリレーして掲載します。そのうち、ふちせ栄子候補の分を紹介していきます。
掲載日
07/06/16 父を通して知ったこと

 明日、六月十七日は、父の日です。おかげさまで七八歳になる実家の父は、福岡県で元気に母と暮らしています。一言で紹介するなら、「頑固で真面目。家族思いの父」です。

 (写真は幼い頃の私と父です)
 北九州市にある新日鉄に、三交代で勤務していた当時は、作業服を着て、朝出・昼出・夜出と、働きに出かけていました。夜出は、午後九時頃。いつもは、「おまえたちのために頑張ってくるぞ。」と笑顔で出ていく父が、ある日、仮眠からさめて眠い目をこすりながら、「人間の身体は、やっぱり昼間に働いて、夜には寝るようになっているなあ。」と、つぶやいたのを、今でも忘れられません。                          
 最初は、私が党の活動をするのに反対していた父でしたが、私の町議選ではビラ配りに、福岡県から応援に来てくれました。町議になってからは、台風が長崎県に接近や上陸するたびに、「町内を見回る時には気をつけろ」と電話してくれました。

 その父に育てられたからこそ、私は、働く者の味方である日本共産党に出会い、正規雇用を増やし、サービス残業や偽装請負をやめさせようと、頑張ることができるのだと思います。
 そして、時給六百十一円の最低賃金生活を体験した私は、声を大にして、せめて千円に引き上げるよう求めています。

 父を通して知ることができた、人間らしく働き、人間らしく暮らすことの大切さ。投票日までの三十六日間、人間が大切にされる社会めざし、私は駆け抜けたいと思います。
07/04/28  胸に迫る漁業者の陳述

nccテレビから いっせい地方選挙前半選が終わったばかりの四月十三日、トップ当選で「県民の宝」の議席を引き継いだ堀江ひとみ県議と共に、記者会見に臨みました。

 あの潮受け堤防によって閉め切られてから十年となる諫早湾干拓事業によって、失われた「宝の海」と「漁民の生活」を取り戻すための新県議との初仕事です。

 赤嶺政賢衆議員を団長にした日本共産党の調査団が、現地調査をし、漁業者のみなさんと懇談し実情を聞き取ってまとめた「有明海再生のための日本共産党の緊急提言ニ○○七」を、国会と長崎・佐賀福岡・熊本の四県で、同日発表したのです。
 夕方のテレビニュースで、胸にバッチをつけた堀江ひとみ県議と緊張しながら説明する私の様子が報道されました。

 そして、いっせい地方選挙後半戦が終わっばかりの四月二十三日、「海の再生を」を求めている裁判を傍聴しました。  

 背広に身を包んだ漁業者の原告が、「有明異変」といわれるほどの中で、適切な漁業技術の指導も受けられないままに、漁業不振にあえいでいる現状を切々と語り、厳しい長崎県の財政状況で、仮に五十三億円の税金を投入するのであれば、漁業者のため、そして真の有明海再生に活かしてほしいと意見陳述さるの目のあたりにしました。

 私のつれあいも海で働いており、漁業者の多い町に生活して二十三年目になる私は、人前で話すことを苦手とする人が多いことを知っています。それだけに、裁判所での意見陳述は、胸に迫りました。   参院選の投票日まで三ヶ月を切った今、心新に頑張りたいと思います。
07/02/10  憲法9条は人類の智慧(ちえ)

 「しんぶん赤旗」でも紹介された、「絵本日本国憲法前文」のイラストを画かれた桑迫賢太郎さんから、あたかも一部屋に九枚の畳を敷き、それぞれの畳に一から八までの数字を記し、九にあたる場所に「般」と画かれた年賀状をいただきました。

 彼は、大学を卒業した後、私と同じ市に住み自然農による米や野菜を作りながらイラストを画いています。「しんぶん赤旗」を購読してもらったのが縁となり、今年、年賀状をいただいたわけです。

 私は、九つの長四角は畳を表し「畳」と「条」をかけて、憲法9条の大切さを訴えておられるのだろうと感じることはできました。けれど、なぜ「九」と画かれるはずの場所に「般」と画かれてあるのかが、どうしてもわからなかったのです。

 そこで、ご案内いただいた絵画展に足を運び、率直にお尋ねしてみました。「般」は「般若」の「般」で、サンスクリット語の「プラジュニャー」、パ―リ語の「パンニャー」の音写であること、般若の意味は、「知識」と区別された「智慧」でであることを教えていただきました。九条は人類の生み出した「智慧」なのです。

 二十代の青年がイラストにこれほどまでの深い思いを込めていることに感激し、憲法9条をともに守りたいと決意を新にしました。

 展示された絵画を拝見すると、私が幼い頃、絵を描くときに必ず使っていた三つの色を基調にした絵に出会い、とても癒された気持ちになりました。短いけれど素敵なひとときでした。
06/12/09
  広く大きくこつこつと

 春名なおあき比例候補とともに、諫早湾干拓事業の視察から始まった候補者活動。支部や地方議員のみなさんと、「広く大きくこつこつと」をモットーに頑張っている。

 県内十八の郵便局が集配業務廃止対象となっている問題では、総務省や郵政公社への申し入れなど行った。十五局で実施を延期させることに貢献できた。
 台風十三号の被害では、激甚災害の指定が実現できた。国会議員と地方議員の連携、それを支える支部の力。どれも欠かせない。

 さまざまな団体との懇談も続けているが、「日米安保条約に対する見解は違うが、医療政策では一致する」、「町づくりや地域振興策では一致する」と、党への期待が寄せられる。
 また、市町村合併後の苦悩や福祉団体などの経営状態など、率直に語ってくださる。
 日本共産党への垣根がなくなりつつあるというより、期待が広がっていることを実感している。

 県民の間には、タウンミィテングでのやらせ質問・郵政造反組復党に対するきびしい声が出ている。そのうえに、県庁裏金問題に対する怒りの声が一気に広がっている。
 県委員会のホームページへのアクセスは急増。企業献金を受け取らない日本共産党だからこそ頼りになると、情報提供も含め電話が毎日のように入る。

 地元紙は、「今期で勇退する日本共産党の中田晋介県議が、全責任は知事にあると一喝。陳謝の言葉を引き出した」と報道した。
 来年の二つの選挙。第一関門である県議選で、堀江ひとみ候補へのバトンタッチを必ず実現し、参議院選挙につなげたい。

06/10/14  不思議な縁を感じながら

 縁とは不思議なものである。長崎に住んで二十二年になる私は、北九州の小倉生まれの小倉育ちである。私は、できればささやかであっても人に役立つ仕事に就きたいと希望して、短大卒業後に知的障害児の福祉施設で二年間働いた。

 その後、新聞広告で求人を知った、北九州第一法律事務所の事務局員に応募。何も知らずに事務局員になった私は、所長である三浦久弁護士が日本共産党の衆議員であることを、後から知ったのである。
 これが、私の人生の大きな岐路となる。自分の求めていた生き方に一致すると日本共産党に入党。二十五歳の時であった。

 そして、長崎出身で八幡で党の仕事をしていた夫と知り合い、長崎に一歳を過ぎたばかりの長女を連れて帰省。
 それから数年、三人の母親となっていた私は、党議席の空白克服をめざして大瀬戸町議選に立候補。補選を含め三度目の挑選で当選し、一年半前まで三期十年務めた。

 町議時代に町長の公金流用問題で、相談にのってもらったのが、当時、市民オンブズマンの活動をしていた仁比聡平参議員。まさか、参院選挙区候補として一緒に街頭宣伝に立つなど、夢にも思っていなかった。
 田村貴昭衆院比例候補は、私の故郷である小倉に住んでおられる。春名なおあき参院比例候補のお母さんのお名前は、私の夫と同じ幸(みゆき)である。

 不思議な縁を感じながら、国民の苦難を解決する日本共産党の候補者として、憲法・教育基本法の改悪阻止、暮らし福祉を守るため全力をつくしたい。