長崎・松谷訴訟と被爆地域拡大問題での小沢議員の討論
                   2000年8月4日 衆議院厚生委員会

○小沢(和)委員 日本共産党の小沢和秋でございます。私は、七年ぶりに、九州・沖縄ブロックの選出議員ということで出てまいりました。よろしくお願いします。
 被爆五十五周年を前に、被爆者行政の抜本的改善を求める立場で二点お尋ねをしたいと思います。
 まず、去る七月十八日に最高裁から判決が出された松谷英子さんの原爆症認定の問題についてであります。
 松谷さんは、一九四五年八月九日、長崎市で爆心地から二・四五キロの地点で被爆いたしました。爆風で吹き飛ばされたかわらが頭に突き刺さり、頭蓋骨陥没で意識不明の重傷を負いました。その後、意識は回復しましたが、頭髪が抜けるなど被爆特有の症状が出ました。今も半身が不自由な生活をしております。
 松谷さんは七七年に原爆病院の診断書を添えて原爆症の認定を申請しましたが、却下され、異議申し立ても却下されました。それでもあきらめず、八七年に再度申請しましたが、それも却下、異議申し立ても認められませんでした。
 たまりかねて、松谷さんはついに裁判を起こしました。裁判では、一、二審とも勝訴し、今回、十二年目に最高裁でも勝利をかち取りました。最高裁は、松谷さんが被爆直後に脱毛など原爆症特有の症状が出ていることから、爆心地より二キロを超えていても認定すべきだと判決を下したものであります。
 最高裁でさえ認めるようなはっきりした症状が出ているのに、松谷さんの認定をかたくなに拒否し、引き延ばしとしか思えない十二年もの長期裁判を続けた厚生省の責任は重大であります。松谷さんに肉体的、精神的苦痛をこのように長期にわたって与えてきたことについて、今大臣はどうお思いでしょうか。
○津島国務大臣 御質問の松谷さんの御苦労につきましては、本当にお気の毒であったと思います。
 松谷さんの原爆症認定については、最高裁から判決が出ましたので、原爆被爆者医療審議会に諮りまして、七月三十一日付で認定をいたしたところでございます。この認定に基づきまして、長崎市において医療特別手当の支給決定が行われることになると聞いております。
○小沢(和)委員 問題は、さかのぼって認定をして、そういう手当を支給するだけでいいのか。今も申し上げたように、これだけ長期に精神的、肉体的な苦痛を与え続けてきた、こういうことについてやはり補償をもっと積極的に考えるべきではないかということもお尋ねをいたします。
○津島国務大臣 松谷さんの原爆症認定につきましては、最高裁の判決が出たわけでございますから、私どもとしては、それを真剣に受けとめる必要がございます。その結果といたしまして、先ほど申し上げましたように、これまで差し上げていた一般の健康管理手当を超える医療特別手当の支給部分をお払いするということで、私どもは、現状は修復をされたというふうに考えております。
○小沢(和)委員 さっき、私、経過で申し上げたように、七七年には松谷さんは既に原爆病院の診断書を添えて申請をしているわけです。だから、私は、本当に厚生省が松谷さんに責任を感じるのであれば、少なくともこの時点から認定をして、手当なども計算して払うということをやってもいいのじゃないかと思うのです。ぜひそういう点で積極的に対処していただきたい。
 それから、次の質問ですが、今回の判決は、原爆症認定についての最高裁の初の判断であります。判決の精神は、現在の科学の到達点では原爆症は完全に解明されていない、原爆症だとの疑いを否定し切れないケースについては救済せよということだと思います。マスコミも、「国の基準より広く」、「狭き門やや広く」、「機械的運用に疑問」などと一斉に報じております。
 そこで、厚生省から伺ったことですけれども、今、原爆症認定をめぐって裁判中の事件が三件、異議申し立て中の事件が五件あると伺っております。どの事件も長期化しておりますけれども、これらについても早速この判決の精神で積極的に見直し、早急に解決を図るべきではないか、お尋ねをします。
○津島国務大臣 御指摘のように、原爆症の認定をめぐって訴訟しておられる原告の方々や異議申し立てをしておられる方々は、本当に御苦労であろうと拝察をいたしております。
 しかしながら、今回の松谷さんの判決の場合も、あくまでも松谷さんの脳損傷について今の認定制度でどのように判定をすべきかということの御判断をいただいたわけでございまして、松谷さんの被爆後のいろいろな事情、疾病の状況等を総合的に判断をして、最高裁としては原爆放射線の起因性を認めるという判断を示されたわけであります。
 しかし、このことについては、これは最高裁の判決でございますから私どもは従うべきでありますが、今の認定制度によって認定を受けてこられた方、認定をしたこと自体の抜本的な見直しにつながるものではない、かように思っております。
○小沢(和)委員 だから、私はわざわざマスコミがこう報じているということも今触れたわけです。マスコミは、もっと幅広く救済をすべきだというふうに最高裁が判決を下したというふうにどの新聞も評価して報じているのですよ。
 当然厚生省も、松谷さんの問題の判決の中に示されている考え方というのはどういうものか、それを今後厚生行政の中でどう生かすかという立場で検討するわけでしょう。だったら、今申し上げたような係争中の、裁判中の事件、あるいは異議申し立て中の事件についても、その立場でもう一度考え直して積極的に対応する、これは当たり前じゃないですか。
○津島国務大臣 先ほど御答弁申し上げましたような松谷さんの事例は事例といたしまして、そのほかの原告及び異議申立者の疾病と原爆放射線との因果関係の有無については、これまで行政として行った判断をみずから変更するような状況ではない、したがって、係争中の裁判については、引き続き司法の判断を仰ぐ必要があるため、今回の最高裁の松谷判決をもとに直ちに別の認定をすることにはならないと私どもは考えておるところであります。
○小沢(和)委員 私は、先日、この問題の調査のために長崎に行ってまいりました。そこで多くの人々から訴えられたことは、これまでの国の姿勢は被爆者に対し余りに冷たい、できるだけ認定しまい、救済しまいとしているということでした。今回の判決を機に、被爆者行政全体を改めていただきたい。
 長崎市の被爆地域見直し問題もその一つだと思います。次にそのことについてお尋ねをします。
 今私がお見せしておりますこのパネルは、長崎の被爆地域の地図です。ピンクが長崎市、ここは全域が当初から被爆地域に指定をされております。上の青、それから両横の緑、これはその後追加的に健康診断特別区域に指定をされたものです。しかし、その外側の黄色の部分というのは、たび重なる地元の要請にもかかわらず被爆とは何の関係もない地域ということになっております。
 このことについて、伊藤一長市長は、現在の原子爆弾被爆地域は、長崎市と長崎市に隣接する町の一部で、南北約十二キロ、東西に約七キロの区域となっています、しかし、これは原子爆弾の被害の状況から見ても大変不合理で、爆心地から同心円状の半径十二キロメートル圏内は同様に取り扱っていただきたいというのが私たちの早くからの悲願ですと述べております。
 問題は、原爆の被害は同心円状に広がっているのに、厚生省が被爆地域を長崎市と行政区域で指定したことから始まっております。そのために、爆心地から同じ距離で被爆していながら、一方は被爆者、他方はそれと認められないという矛盾が起こっております。これを解決するのは厚生省の責任ではありませんか。半径十二キロ以内の被爆者をすべて平等に被爆者と認める、このパネルの黄色の未指定地域を被爆地域と指定する、これ以外にこの矛盾は解決のしようがないんじゃありませんか。
○津島国務大臣 その地図で御指摘のとおり、爆心地からの距離で見た場合に、より近い地域であるにもかかわらず指定をされていないということについて、長崎市及び長崎県から御要望が出ておることはよく承知をしております。
 被爆地域の指定につきましては、国は一貫して、昭和五十五年に取りまとめられました原爆被爆者対策基本問題懇談会意見に基づきまして、科学的、合理的な根拠のある場合に限定して指定を行うべきであるとの方針で臨んでおることは御承知のとおりであります。
 また、長崎の場合の指定拡大要望地域については、御要望がございましたので、その後厚生省において専門家から成る検討班を設け、長崎県、長崎市が実施した残留プルトニウム調査報告書について検討を行いましたが、平成六年十二月に公表された報告書において、指定拡大要望地域においては、原爆の放射性降下物の残留放射能による健康影響はないという結論が得られているところでございまして、これ以上の指定地域の拡大は困難であるというふうに考えております。
○小沢(和)委員 いや、それでは私の質問に全然答えていないんですよ。私が言っているのは、被害というのは爆心地から同心円的に広がっていくはずでしょう、だれが考えても。それなのに、最初に行政区域で指定をしてしまったために、同じ距離でも被爆者と認められる者と認められない者という不平等ができてしまっておるじゃないか。これをどう解決するかといったら、十二キロという同心円で、その以内の者は全部被爆者と認めるという形でしか救済できないじゃないかということを私は言っているんです。大臣の今の答弁では、全然答えになっておりません。
 そこで、次にお尋ねしますが、今回、地元の長崎では、爆心地から十二キロ以内の未指定地域の全被爆者八千七百人から被爆の実態についてアンケートを行い、それを「聞いて下さい!私たちの心のいたで」という証言集にまとめました。大臣、これがその証言集です。平均年齢が七十歳を超えている被爆者たちから具体的記述を求めるアンケートで、八〇%以上の回収ができたという。これだけでも関心の高さがわかると思います。
 大臣にお尋ねしますが、長崎市の話では、大臣が不在だったので秘書官にこの証言集を預けてきたと言うんですが、大臣、その後見ていただいておりますか。
○津島国務大臣 一べついたしました。
○小沢(和)委員 それは大変結構です。
 この中の証言に照らすなら、国がこれまで原爆被害は爆心から二キロ以内としてきた立場が実態といかにかけ離れているかということがはっきりすると思います。
 もう一度さっきのパネルを見ていただきたいんですが、私、たくさんの証言の中で三人だけ御紹介したいんです。まず、このAという地点ですね。大臣、見てくださいよ。このAという地点、これは爆心地から十・三キロの当時の深堀村ですけれども、ここで十一歳のときに被爆した男性は、飛行機のかすかな爆音を耳にした直後に黄色い光線に包まれ、思わずあっと叫んだほどでした。ドーンと爆音がとどろいたのと同時に、自宅近所の家々の窓ガラスが割れる音がしました。その後、私は上半身の皮膚のあちらこちらがひりひりと痛み、一週間後には皮膚がはげ落ちたことを今でも思い出しますと述べています。
 今度はBですね。ここの地点です。爆心地から八・六キロの当時の矢上村で十一歳のときに被爆した男性。普賢山の頂上近くで、目の前でぴかっと光った。見たその瞬間、熱い熱射を体に浴びたのです。そして、大音響とともに爆風の強い衝撃があったのです。私たちは、降りかかってきたじん灰を吹き払いながら弁当を食べた記憶が今も消えません。こう述べておる。
 もう一つだけ聞いていただきたいのは、このCの地点ですね。爆心地から八・〇キロの当時の日見村で十二歳のとき被爆した男性です。突然、中空に巨大な塊が爆発する閃光と熱線を感じて驚いた。家に帰ってみると、ガラスは割れて、入り口の障子の桟などはめちゃめちゃに壊されていた。網場道の方へ行く途中、牛車の上にはけが人や死にそうになった人などが運ばれ、諫早方面へと急いでいた。帰宅途中、やがて油のような黒い雨が降ってきて、白いシャツに黒い斑点をつくった。
 以上が証言の一部ですが、この人々がどんなに深刻な被爆体験をしたかは、この証言集を読むならば明らかです。いつ自分も発病するかという不安を抱えてこの五十数年を過ごしてきた、その苦しみを厚生省はもっと真剣に受けとめるべきであります。この証言集をどう評価し、今後の地域拡大問題に役立てていくのか、お尋ねをします。
○津島国務大臣 被爆された方の証言というのは、いつ聞いても大変に衝撃的なものでございます。今回まとめられた証言調査報告書には、今仰せになったような方々の体験が述べられており、今も健康に不安を持つ状況であるということも理解できるところでございます。
 地域拡大の問題につきましては、先ほども御答弁をいたしましたが、科学的、合理的な根拠のある場合に行うべきであるという基本方針がございますので、この方針に立って、今回長崎市が取りまとめられた証言調査報告書につき、今後精査、研究をさせていただきたいと思います。
○小沢(和)委員 厚生省は、基本懇答申以来、科学的、合理的根拠がなければ地域拡大は認めないという厳しい態度に終始しております。
 しかし、まず合理的という点でいえば、現在の指定そのものがいかに不合理かは先ほどから指摘したとおりであります。科学的ということについても、今回の松谷さんへの最高裁判決は、厚生省が被曝線量を推定する科学的根拠にしているDS86の信頼性について疑問を投げかけております。多くの科学者から、DS86では遠距離の被爆の実態を全く反映していない可能性が出てきたと指摘をされております。
 被爆の実態そのものが現在の科学で解明し尽くされていない、このことを率直に認め、今後の解明のための生のデータとしてこの証言集を正面から受けとめていただきたいと思いますが、そう考えていいでしょうか。
○津島国務大臣 地域指定の拡大につきましては、先ほど申し上げ、また今委員が引用されましたような、科学的、合理的な根拠のある場合に行うということでございまして、今の証言集につきましても、そういう立場から精査をさせていただくのは当然であろうと思います。
 なお、松谷判決にも言及をされましたが、松谷判決の方は、原告の方の被爆後の状況や疾病の状況を総合的に考慮した結果最高裁が判断を下されたものでございまして、認定制度や地域指定制度に直ちにつながる判決とは私どもは受けとめておりません。
○小沢(和)委員 どうも私の質問にまともに答えていただいていない感じがするんですがね。
 今回、長崎市では、被爆者の平均年齢が七十歳を超え、もうこれ以上待てないということでこの証言集を持って市長を先頭に上京し、全市議会議員が超党派で厚生省、各政党、衆参全議員などに訴え、東京でこの問題についてのシンポジウムも開催をいたしました。共産党では不破委員長が直接訴えを聞き、シンポジウムには、ここにおります瀬古議員が党代表として参加をいたしました。
 ところが、長崎から来た市長らが恐らく一番話を聞いてほしかったはずの厚生省では、大臣にも次官にも会えず、応対したのは課長だけで、シンポジウムには、担当者が他の所用があるためと、だれも出席しなかったということであります。これが全市挙げての超党派の運動に対する誠意ある対応と言えるのか。聞けば、厚生省には被爆者問題を担当する者が十八名もいるといいますが、全員が本当にどうにもならないほかの所用があったからシンポジウムに出席できなかったとは到底信ずることはできません。だから、私は、この貴重な証言集をまじめに読んで検討していただけるのかとどうしても不安を感ずるんですが、もう一度、この証言集を積極的に受けとめる姿勢を聞かせていただきたい。
○津島国務大臣 精査をいたしておると思っております。
○小沢(和)委員 では、これで最後にしたいと思います。
 国は被爆者援護について特別の責任があると思います。そもそも、長崎、広島に原子爆弾が投下されたのは、国が誤った侵略戦争を行ったことに起因しております。もちろん、アメリカが一般市民に大量殺りく兵器を使用したことは国際法に違反しており、直接の責任がありますが、日本政府が講和条約で賠償請求権を放棄した以上、日本政府が国家補償の立場で誠意ある取り組みをする責任があります。折から、被爆五十五周年を迎えようとしております。二度と被爆者をつくらぬ決意を込めて、松谷さんへの最高裁判決の精神に学び、この際、被爆地域拡大に前向きに対処すべきであります。改めて大臣の姿勢を伺って、私の質問を終わります。
○津島国務大臣 重ねて御答弁をいたしますけれども、松谷判決そのものについては真剣に受けとめて対応をいたしているところでございますが、後の地域指定等の問題は、従来の方針にのっとって、そして新しい証言集を精査しておるという状況でございます。
○小沢(和)委員 不満足ですけれども、これで終わります。