2003年6月29日(日)「しんぶん赤旗」

有明海異変

謎の浮遊物を追う


 五月の有明海に突然大発生した「謎の浮遊物」――。「回遊魚がいなくなった」「イカやカニがとれなくなった」と漁業者は今もつづく被害を訴えます。浮遊物は消えたものの「梅雨が明けたらまた出てくるのではないか」「ノリの養殖時期に発生したら…」。正体が未解明なだけに漁民の心配といらだちは消えるどころかつのるばかりです。(松橋隆司記者)


網には泥ばかり イカ、カニとれない

再発を心配する漁民

網が引けない

(1)島原沖の潮目に現れた「謎の浮遊物」
(2)魚網に付着した浮遊物。20キログラムほどの網が2トンにもなり、引き上げると船の中は付着物でいっぱいになった(島原沖で5月8日)
(3)浮遊物の核になった海藻類(太田扶桑男氏が5月9日に撮影)

 写真(1)は、島原沖でゴミなどが集まる潮目に漂う浮遊物を島原市の漁民・Tさん(38)が五月八日に撮ったものです。島原沖では、べとべとした浮遊物が、同四日ころから刺し網にからみつきはじめ、網をあげるのが困難になりました。二十キロcほどの網が二トン、百倍ほどにもなりました。やっとの思いで船上にあげると、魚はかからず、ネバネバした粘土状の浮遊物で船の中がいっぱいになりました(写真(2))。海草のにおいが鼻をつきました。

 エビ、カニ、ヒラメ、キスなどをとる底引き網漁業は「通常は三時間くらい網を引くが、浮遊物が出ていたときは、三十分ほどで目詰まりして網が引けなくなった。その後は漁に出ても魚がとれない」という事態になりました。刺し網漁業も「シタビラメは十二月から七月までが漁期だが、とれる見とおしがなく中止した」「タコ、イカも収穫が減少している」という状態です。

 佐賀中央法律事務所が実施したアンケート調査によると、「(干拓事業で諫早湾を閉め切る前は)月額六十万以上、それ以降でも三十万くらいは稼いでいたが、ほとんど収入がない」など、浮遊物被害で月額二十万円から七十万円くらいの収入減になっています。

 浮遊物の正体解明について水産庁は「現地の国や県の水産研究機関が連携して、調整しながらすすめている」とのべています。しかし、進展がみられず未解明のままです。

干拓に原因か

 有明海沿岸四県の事務局を担当している熊本県水産研究センターは「浮遊物が、海洋生物由来であることはわかるが、それが植物なのか動物なのかわからない」といいます。「ただ浮遊物は、アルカリに溶けないという特徴がある。いまのところゴカイの卵嚢(らんのう)がアルカリに溶けないことがわかっている」と付け加えました。

 当初、国や県が「長崎大学水産学部の玉置昭夫教授はゴカイの卵嚢ではないかとみている」と発表したため、その説がひとり歩きしているようです。

 玉置教授は「浮遊物をみたときに感想程度に話したことが、口づてに発表されてしまって、問い合わせにたいへん困りました」と苦笑しました。

 漁民らの協力を得て有明海の調査をしてきた名古屋女子大の村上哲生助教授のもとに採取場所の異なる二件の粘土状の浮遊物が送られてきました。顕微鏡で調べたところ、そのどちらにも円盤状のケイソウ(珪藻)類・タラシオシーラが多数見られました。

 村上氏は、このケイソウについて「『粘質多糖類の糸』を出すものもあるようなので、これの異常増殖による『ネバネバ』という可能性はあると思う」とのべています。しかし当時の赤潮情報では、「タラシオシーラによる赤潮の発生報告はなかった」といいます。

 一面所報の太田扶桑男氏のもとに、五月九日に島原沖で漁網についた粘着物と海水が送られてきました。粘着物を水洗いしたところ、海草が多数混在していることがわかりました(写真(3))。海草は、紅藻と褐藻が多く、緑藻は少ないといいます。

 海水を調べると、浮遊海草の薄片に石灰粒子の付着が見られたなどから、太田氏は、干拓工事で土壌改良(固化)剤として使われている生石灰に強い疑いをもっています。石灰粒子で海草の細胞が障害を受け、細胞内の粘質物が溶出するとともに、海草が薄い膜状になって海中を浮遊中に有明海特有の浮泥が付着したと考えています。浮泥は粘土粒子に有機物が付着したものです。

 九州農政局に問い合わせると「セメント系の凝固剤を石灰系に替えたのは、二〇〇〇年十月からで、二〇〇二年度の使用量は四千二百トン」と回答、生石灰を大量に使っていることを認めています。

検証求める声

 石灰粒子は干拓工事現場から調整池へ、調整池から諫早湾へ、排水とともに流出し、有明海へ広がっていると疑われています。今年四月二十七日から三十日まで調整池から千八百万トンもの大量の汚濁水が排出されていることも判明しました。農水省は土壌改良剤にたいする対策をとっているとしていますが、熊本市河内町の漁民・木村茂光さん(67)は「太田先生は根拠に基づいて指摘しているのであり、農水省は漁民が納得できる検証を急ぐべきだ」と指摘しています。

 浮遊物がどこから発生したのかも謎とされています。しかし、発表資料を調べていくと、公的機関が最初に浮遊物被害の通報を受けたのは諫早湾内だったことがわかりました。(つづく)


2003年6月30日(月)「しんぶん赤旗」

有明海異変

謎の浮遊物を追う (下)

最初の被害報告は諫早湾内

異様な前兆があった


小長井町沿岸の魚網被害の通報(5月7日午後12時5分)で出動した三池海上保安部巡視艇の第一報調査図から作成

 謎の浮遊物はどこからきたのか―これを知る手掛かりとして公的機関の最初の確認記録を探しました。

巡視艇が確認

 海上保安庁三池海上保安部は五月七日昼ころ、諫早湾内の長崎県小長井町沿岸部にドロドロした黒い浮遊物があり、刺し網等に被害が出ているとの長崎県水産部からの通報をうけていました。小長井町沿岸に被害が発生していた点が重要です。この通報で巡視艇「すいれん」が出動、大牟田市と諫早湾口を結ぶ有明海中央部で長さ約十三キロメートルにわたって帯状に広がる浮遊物を発見、ついで島原半島沖三カ所でも最長一・一キロにわたって漂う浮遊物を確認しました。

 潮の流れは、諫早湾から島原半島にそって南下しており、漁民らは諫早湾から発生したとみています。

透明な糸が

 漁民の報告の中で注目されるのは、前兆現象が見られたことです。一つは透明度が異常によくなったこと。島原市の漁船漁業者(38)によると浮遊物が漁網にかかる五月四日以前の一日か二日前です。「普段は見えない六メートル下の海底がよく見えたので驚いた。普段は二―三メートルしか見えないのにおかしいと思った」といいます。

 長崎大学の東幹夫教授は「浮泥が有機物を吸着して大量に沈降したための現象ではないか」といい、諫早湾閉め切り後、潮の流れが弱まっているため浮泥が大量に沈降しやすくなっていると考えています。

 もう一つの前兆は、「五月一日ころから海中に、五センチほどの透明な糸のようなものが無数にただよっていて、二日、三日ころには透明なクモの巣状のものがたくさんただよっていた」という同じ漁業者の証言です。

 いずれにしろ、これまで漁民が経験したことのない異常な現象は、有明海の現状を示して象徴的です。

 有明海は、干拓事業で諫早湾を閉め切られたために広大な干潟域を失い、水質浄化と稚魚の揺らんの場を奪われました。調整池を造ったために日常的に排出される汚濁水の悪影響を受けるようにもなりました。その上、諫早湾の閉め切りで「海洋環境の根幹」といわれる潮の流れが弱まり、赤潮の増大や貧酸素海域の拡大、海底の泥化の進行などさまざまな悪影響に悩まされるようになりました。

 農水省はそれでも干拓工事をしゃにむに強行しています。謎の浮遊物は、有明海悪化の歯止めなき現状を警告しています。

 (おわり) 松橋隆司記者