一、平時に突如として持ちこめられた戦時体制―テロ発生で米軍は最厳戒態勢に

9・11同時多発テロは、米海軍基地をかかえる佐世保に大きな緊張をもたらしました。米海軍基地の警備状況を、それ以前のもっとも軽微な警戒態勢のAランクから、最厳戒態勢Dランクにいっきにひきあげました。深夜にもかかわらず、米兵の招集が始まり、次々と基地内に入っていきます。外人バーでは一軒一軒ドアをあけての米兵呼び出しが始まりました。各施設の入り口は二重のチェック体制がとられ、正面ゲートには完全武装した海兵隊警備兵士が十数人配置されました。県警機動部隊も警備につきました。基地への出入りのチェックはきびしく基地従業員、同じ米兵家族でもあってもボデイチェックはもとより、持ち物一切の入念な検査が行われるようになりました。子供のカバンまでチェックが入るという徹底ぶりです。そのために佐世保市民の出勤時には基地周辺での交通渋滞が起こるようになりました。港湾においても海上保安庁、長崎県警なども巡視艇をだして警戒にあたりました。一時的ではありましたが、将校住宅横には緊急避難用と見られる大型バスも待機させました。彼らは真剣にテロ攻撃に備えたのです。同時に報復戦争出撃にかかったのです。平穏な市民生活の中に米国国益優先で一方的に「戦時体制」が持ち込まれたのです。米軍基地の存在とは、地域住民の安全を守るものではなく、逆にテロ攻撃や戦闘に住民を巻き込む危険極まりないものだということ、いかに佐世保が米世界戦略と深く直結しているかということを実感させるものになりました。

報復戦争準備にかかる米軍

沖縄に配備されている第31海兵隊遠征部隊とリンクして戦闘地域に殴り込みをかける第11水陸両用戦部隊である強襲揚陸艦エセックスなどは出撃態勢の準備に入りました。18日は、米軍広弾薬庫(広島県)から弾薬の陸上輸送が行われ、いったん前畑弾薬庫(佐世保)に持ち込まれたあと、戦闘艦船への積み込みが行われました。立神岸壁においては、大量の補給物資の集積作業が行われました。そのために周辺市道はたいへんな交通渋滞がひきおこされたのです。

 さらに海兵隊や戦車などを直接紛争地に揚陸させる最新鋭の揚陸艇LCACの異例なエンジンテストや航行訓練を行った後、横須賀のキテイホーク空母機動部隊の21日出撃に引き続いて、強襲揚陸艦エセックスが22日出撃していきました。その様子もまた物々しいものでした。海上保安庁の巡視艇9隻が前後左右を固めるものでした。さらに重大なことは、その時点では法律上も許されていなかった海上自衛隊護衛艦「はるゆき」が事実上米海軍強襲揚陸艦エセックスを護衛警備するために、同時に出港して行きました。さらに24日には、ドック型揚陸艦フオートマクヘンリーが出撃していきました。この時もまた、LCAC3隻を沖合いまで自走させ積み込んで沖縄に向かったのです。さらに今度は海上自衛隊護衛艦「おおよど」が護衛警備の任務につきました。戦時には「超法規的行為」もやむをえないというのでしょうか。

 出入りが激しかったのは、揚陸艦船とLCACだけではありませんでした。ミサイル追尾艦、原子力潜水艦、給油艦、海洋測量艦などの米艦船もあわただしい動きを示しました。まさに戦時体制そのものです。アメリカ有事は、自衛隊や海上保安庁、警察などの実力組織を否応なく、巻き込むことも教えてくれました。さらに日本国民と日本の経済力をも全面的に動員させたい日米支配層の、有事法制への強い衝動も実感させるものでもありました。

2、戦争する国への第一歩に踏み込んだ、自衛隊艦船のインド洋派遣

無差別に人命を殺傷するテロは、絶対に許されない行為です。しかしその解決は、法と理性によらなければなりません。アメリカは報復戦争という無謀な手法を選択しました。

法的根拠がなくても艦船を出したい小泉政権

小泉政権は、マスコミから「思考停止」と批判されるほど、いちはやくアメリカに追随する立場を表明してきました。その追随ぶりはひどいものでした。9月24日には、イージス艦「こんごう」をふくむ4隻の自衛隊艦船インド洋派遣の報道が衝撃的になされました。21日に空母機動部隊キテイホークが、インド洋に向かったばかりという段階です。アメリカもまだ報復戦争には踏み切ってはいません。いったいインド洋に行ってどんな軍事的役割を果たそうというのでしょうか。またどういう法的根拠にもとづいて出港するのでしょうか。テロ特措法などというものはまだ国会に提案もされていない段階です。この報道には「ほんとうだろうか」信じがたい思いでした。しかし、佐世保では、イージス艦「こんごう」には弾薬が積み込まれました。補給艦「はまな」には、大型冷凍庫が甲板に新設されました。銃座も設けられました。派遣予定の4つの艦船には連日生鮮食料品など補給物資が積み込まれていきます。出港予定の27日には、出港に即応できるようにということでしょう。4隻とも準備万端整えて、艦首をすべて港口に向けて桟橋に係船しました。小泉政権は本気だったのです。その法的根拠として、防衛庁設置法第5条にある「調査と研究」をあげて説明していました。これがまったくのごまかしであることはあまりにも明白です。とにかくアメリカの戦争に何らかの目に見える形での軍事的支援を行いたいということでしょう。戦争は切迫しているインド洋までは2週間はかかる、とりあえず出港させその間に法律作って「合理化」しようということです。この超法規的軍事行動、クーデター的自衛隊海外派遣というこんな暴挙が許されてよいはずがありません。

 しかも今度の海外派遣は、戦地における自衛隊の海外派遣です。確かにこの間80年のリムパック参加以来、91年湾岸戦争後の機雷掃海作業任務のための派遣、92年のPKO法に基づくカンボジアなどなど、なし崩し的に自衛隊の海外派遣のなし崩し的拡大が進められてきました。しかし、これらの海外派遣は、訓練であったり、人道支援であったりというものでした。今回は明らかに従前と違います。戦地での戦闘中のアメリカ支援を目的にした海外派兵です。まさに戦争参加そのものです。戦後56年間戦争しない立場をとってきた、戦後歴史の大転換を意味する暴挙を、憲法第9条を蹂躙し、法的手続きもまったく無視するこんな形で強行しようとする小泉政権の危うさに怒りをおさえることができませんでした。アメリカに忠誠を尽くすためにはここまでするのか、対米従属ぶりに驚くばかりです。さすがに政権与党内部からも、イージス艦「こんごう」の派遣はその持っている高度な軍事的機能から見ても「集団的自衛権の行使」になるのではないか、などの慎重論もあって、9月27日出港計画は中止され、実際には11月9日第一次派遣、11月25日第二次派遣ということになりました。それでも第一次派遣の時には、まだテロ特措法は適用できず、例の「防衛庁設置法第5条」に根拠を求め、成立施行時に「テロ特措法」に切り替えて油補給などの対米支援を行いました。

テロ特措法をも逸脱か、今回の軍事支援行動

燃料補給という点では、米軍に22回、イギリス軍に1回洋上補給したと防衛庁は2月時点で明らかにしています。その後も続いているわけで、これらの財政負担も少なくものではありません。さらに重大なのは、対イラク経済制裁の船舶検査を任務としているオーストラリア海軍に、事実上給油しているという問題が明らかになりました。佐世保に帰港した第一次インド洋派遣関係者は、自衛隊補給艦「はまな」が米軍補給艦に補給し、それをオーストラリア海軍艦船に補給したと証言しています。テロ掃討を目的とした軍事作戦とは直接関係のない船舶検査のための給油は、テロ特措法を逸脱していることになります。

なぜ、佐世保がインド洋派遣の中心的役割を担ったのか

第一次派遣(01年11月8日)は、佐世保基地の3隻だけでした。第二次派遣(01年11月25日)は佐世保1隻、呉、横須賀1隻。第三次派遣(02年2月13日)は、佐世保1隻、舞鶴1隻、横須賀1隻という戦力構成になっています。佐世保が中心的役割を担っていることが歴然としています。政治的には戦後歴史を大転換する暴挙だけに国民的批判をかわすという点で、もっとも政治的抵抗の弱いという判断がそこにあったことは否めないと思います。もうひとつは、軍事的によく整備されているという判断がありました。佐世保海上自衛隊OB会長は「派遣は海上自衛隊史上、大きな節目。海外はいろんな意味で勝手が違ううえ、今回は初の戦闘支援。乗員たちは訓練で培った精神力と技術でよくぞ乗り切った。海自の整備・運用能力の高さが証明された」(02年4月10日西日本新聞)と述べています。

戦時派遣を可能にした訓練と装備整備

実際、1980年リムパック参加以来、この20数年間、佐世保海上自衛隊基地はどれだけの「日米共同訓練」を重ねてきたことだろう。新ガイドライン法成立(99年5月)以後だけでも、自衛隊が担うべき軍事支援項目にそって、いつでも実戦できるように、技術を磨き上げてきました。さっそく支援項目にある「邦人等輸送訓練」も日米共同統合実働訓練が00年11月、佐世保基地を中心にして展開されました。もちろんこのときの日米統合実働演習は全国的規模で他の支援項目についても訓練が行われました。補給についても佐世保母港の米艦船強襲揚陸艦エセックスなどへの日常的補給訓練が行われていました。船舶検査活動法が01年3月成立すると、イージス艦「ちょうかい」など3隻の艦船を派米訓練行いました。5月10日佐世保を出港し、ハワイ周辺海域などで共同訓練、「乗船検査」の具体的やり方を米軍施設で訓練を行って8月に帰港してきました。

 こうした積年にわたる系統的日米共同訓練を通して、実戦でも即応できる技術を身につけておいたから可能になった今回の初の戦時派遣だったわけです。また、それだけの装備、護衛艦、補給艦、輸送艦などを整備してきた(防衛整備計画にそった毎年の軍事支出)結果でもあります。各種兵器、装備が日米両軍において相互互換できるものにしてきたことも不可避的準備でもありました。

3、有事立法の先取り

基地があるがゆえに周辺住民は戦争に巻き込まれるという危険は前述しました。同時に戦争態勢というのはこうして進められていくのだなということも痛切に教えられました。

はじまった情報統制

まず、第一に情報統制が始まりました。米海軍は外務省に圧力を加え、外務省は自治体に圧力を加え、米原潜の24時間前入出港連絡の事実公表をストップさせました。国民の知らない間に、核兵器搭載の原潜が入出港するという状況が作り出されました。これは今日も続けられています。自衛隊艦船の入出港についても事前公表はしなくなりました。弾薬の陸上輸送にいたっては、米軍は日本政府にも、もちろん自治体にも連絡することなく、強行するようになりました。それは平和団体の監視活動を通して確認できたのです。APLというコンテナを搭載した民間輸送業者トラック(神戸ナンバー)3台によって、前畑弾薬庫に搬入されたのです。弾薬を搭載していることを示す「火」の表示がなされています。搬入される時刻も、搬入された場所も、その積載物が弾薬であったことは間違いありません。佐世保市に抗議の申し入れを行うと、自治体当局は「政府にも確認を求めたが政府も承知していない」という回答なのです。

 さらに、海上保安庁も海上自衛隊広報も「艦船入出港予定」など、問い合わせについても一切「教えない」という態度に変化しました。

 政府はこうした軍事情報を国民の目から遮断しておいて、今度は運動団体やマスコミなどの取材や調査活動に対抗して、自衛隊法改悪まで行い、「防衛機密」保護のために、国民の知る権利、言論、取材の自由などの民主的権利を奪おうとしています。

4、恐るべき基地増強計画

米海軍基地は、LCAC新基地建設を約100億円かけて行い、現在の6隻体制から12隻収容可能な規模に拡大しようとしています。さらに米軍専用岸壁築造を約200億円かけて建設しようとしています。さらに大型艦船が直接接岸できる岸壁もある、そしてあらゆる種類の弾薬も貯蔵可能な弾薬棟をあわせもった新弾薬庫も(総工事費は、1000億円はくだらないといわれている)作ろうとしています。いずれも思いやり予算投入が予定されています。着工から完成まで6年から10年はかかるといわれています。基地の固定化恒久的使用を示すものです。「アメリカは、西ヨーロッパと北東アジアの重要な基地を維持していく。それらは世界の他の地域における不測の事態にさいして、戦力を投入する中継基地になる」(2001年9月30日、4年後との国防態勢の見直し報告書)という方針にそったものです。

海上自衛隊の施設整備もすさまじい

@    不審船対策を口実に、高速ミサイル艇を新たに配備。

A    倉島業務隊にある約30の施設を全面的改修。埋め立ても行い敷地も5Haに拡張。海底も浚渫し、水深10m、430mの岸壁をつくり、3000トン級の護衛艦6隻接岸可能にするというもの。完成まで10年かかると海上自衛隊は語っています。

B    崎辺地区には760mの超大型桟橋建設計画もあります。

C    大田著油所のタンク増設、金山弾薬庫の弾薬棟増設計画も着工に踏み切っています。

陸上自衛隊にはわが国初の「有事即応部隊」が創設

この3月、相浦陸上自衛隊には、わが国最初の「有事即応部隊」が創設されました。一個大隊660名のコンパクトな部隊ですが、攻撃型、輸送用ヘリコプターを駆使し機動力を重視する、ゲリラ対処などの特殊部隊とされています。名称こそ「西部方面隊普通科連隊」となっています。また対馬から南西諸島約2500ある離島防衛を名目にしていますが、自衛隊の海兵隊特殊部隊版といえるものです。「集団的自衛権行使」など憲法上の制約問題など法律的環境が整えば、いつでもアメリカと共同行動、ないしアメリカ海兵隊にとって変わって侵略と干渉の先兵として軍事的役割を発揮できるよう、準備を開始しようというものです。

五、おわりに

重大な歴史的岐路に直面していることは間違いありません。国際的にも孤立を深めるブッシュ政権に小泉政権は忠実に従い、戦争準備の道を突き進もうとしています。しかし基地を抱える佐世保市民の多くもまた「戦争反対、憲法を守れ」と願っています。危険な実態と彼らのねらいを白日のもとにさらけ出すことによって、平和への大きな共同を作り出していきたいと思います。

日米共同の出撃拠点として強化される佐世保米軍自衛隊基地
 雑誌「前衛」の2002年7月号に掲載された、日本共産党北部地区委員会政策委員長の山下千秋さんの論文を紹介します。