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「しんぶん赤旗」2006/6/25
ひと

 50周年を迎えた長崎原爆被災者協議会の新しい会長

谷口稜曄(すみてる)さん


 いまも忘れられない、東京の集会で浴びせられた一言。「(被爆から)もう十年もたった。泣き言いうな」と。「泣き言じゃない。悔し涙だ」と自ら裸になり、背中一面に刻み込まれた原爆の爪あとをさらし「人類と核兵器は共存できない」と説得しました。
 被爆は十六歳。爆心地から二`、自転車で郵便配達中でした。道端で遊んでいた子どもたちに目をやり、空を見上げた瞬間、すさまじいせん光と爆風で地面にたたきつけられました。

 子どもたちは消え、熱線で焼けただれた背中に大きな石が当たって跳ね返った記憶が、やけに鮮明です。一滴の血も出ず痛みは感じず、散乱した配り残しの郵便物が心配でした。
 救出されたのは三日目。肉まで溶けた傷がふさがらずうつ伏せのままの一年九カ月。「死なせてください」と訴える地獄の日々。「こんなことを繰り返させてはならない」|苦しみと怒りが交錯する三年七カ月の入院でした。

 「被爆者で当時のカルテが残っているのは私のだけ」と資料を克明に説明します。「どんな治療か知りたかった」。米国調査団の手でカルテ二カ月分が抜き取られたのも分かりました。
 被爆者援護法は運動ぬきではできませんでした。なのに、政府はいま国家補償をさぼり続け、憲法九条の改悪まで狙っています。
 被爆の実相と六十年の苦しみを語り続けることが使命。「本を読むだけで背中がうずきます。でも再び被爆者をつくらないためですから」。人懐っこい笑顔に決意がみなぎります。(文・写真、田中 康)

 5月に長崎被災協の7代目会長に就任。長崎市に妻と暮らす。77歳