碑めぐり
原爆被害の第一報を発信した「立山防空壕」


 昨年十一月にオープンした「長崎歴史文化博物館」のとなりに、「立山防空壕」があります。

 太平洋戦争中、「長崎県防空本部」として防空施策の中心的役割を担った場所です。
 空襲警報の発令と同時に、県知事らの要員が集まり、警備や救援・救護などの応急対応の指揮、連絡手配に当たりました。

 ここは爆心地から約二・七`。ここから国には「被害軽微」と原爆被害の第一報が出され、詳細が分かるにつれて未曽有の被害実態を次々に発信、救援救護を手配しました。
 
 数少なくなった大型の被爆建造物でもあります。壕内には、知事室や参謀長室(警察部長室)、防空監視隊本部、通信室など設置されていました。

 近くに住む男性(70歳)は、「当時この一帯は警察施設があった場所。ここに大規模な防空壕がつくられ、重要な機関が置かれていたことは住民はほとんど知らなかった」と話していました。
 午前九時半から午後五時まで無料で見学できます。

「しんぶん赤旗」2006/3/4