木曜人とき
市町村合併が続くなか「非核平和宣言」の全自治体制定に奔走する川口龍也さん


 「核兵器廃絶に力をつくすのは、生き残った被爆者の責務」と、県内全自治体の「非核平和宣言」に執念を燃やします。「非核の政府を求める長崎県民の会」の事務局長です。


 三月十五日は、七年前に県内の全自治体が「非核平和宣言」を可決・制定した記念の日。最後に残った対馬・美津島町に何としても「宣言」をと要請に飛んだことを思い出します。
 当時は、自民党が「非核平和都市宣言は日本の平和に有害です」と妨害・攻撃する中での運動。「全自治体の『宣言』達成は、『ヒロシマ・ナガサキからのアピール署名』の県内人口過半数達成につぐ、特筆すべき快挙でした」。

 「『宣言』を実効あるものに」と努力していた矢先、「改革」の名による市町村合併が強行され、長崎県は全国に先駆けてこれを推進。八十の自治体(県と八市七十町一村)が、今では三十三自治体(県と十二市二十町)となりました。
 新たな自治体の誕生で旧自治体の「宣言」は消滅します。しかし非核・平和行政の空白や後退は許されません。新自治体を含む全自治体の「宣言」制定は、他に先駆けて被爆県長崎が果たすべき重大な責任です。

 さっそく、誕生したばかりの対馬市、五島市など三市一町の市長や町長、議長を訪ね、「住民の声を反映した新『非核平和宣言』を」と要請。二〇〇五年の被爆六十年は、再び全自治体(当時六十三)の「宣言」達成で新年を迎えました。
 合併による自治体再編はいまも進行中。昨年秋から今年にかけて誕生した雲仙市、新「平戸市」、新「松浦市」の新「宣言」が残されています。

 小学三年(九歳)で被爆。全身真っ黒に焼け焦げ「かあちゃん痛いよう」と泣きながら亡くなった幼友だちの叫び。倒れた家の梁(はり)の下敷きになって頭がつぶれ即死した従兄弟|。いまも鮮明に脳裏に焼き付いて離れません。
 七周年で会見した川口さん。「一日も早い核兵器廃絶、憲法九条『改正』反対、非核平和の声を草の根から」と決意新たに語りました。

「しんぶん赤旗」2006/3/16