2004年8月2日(月)「しんぶん赤旗」

「被爆の語り部」若い世代に

“平和の案内人”にと研修やシンポ


 一九四五年八月。六日に広島の街、九日に長崎の街が米軍機の投下した原爆の熱線、爆風、放射線で破壊されました。被爆者が、この惨状を語り伝え、「ノーモア・ヒロシマ、ナガサキ」を訴えてきました。いま、語り部の継承が課題になっています。被爆地から、その取り組みを報告します。


講座募集に3倍の人

インターネット、外国語でも 原爆の恐ろしさ継承へ 長崎市

 長崎市の被爆者の平均年齢は七十一・七歳。被爆の実相を語り続けている被爆の語り部の平均年齢は七十三歳です。核兵器廃絶まで、世代を超えて求められる被爆の実相を語り伝える運動はいま、「継承」という課題に直面しています。

 「あなたも被爆の実相を伝える平和案内人になりませんか」―。長崎市の外郭団体・長崎平和推進協会が四月に呼びかけた「ボランティアガイド育成講座」には、一回目にもかかわらず定員の三倍、十九歳から八十四歳までの市民九十一人が応募しました。

 五カ月間かけて、原爆被害の概要や原爆後障害、被爆建造物・碑めぐりのポイントを学び、実習などをして、ガイドや語り部として活動してもらおうというもの。長崎市が、これを支えています。

 また新しい試みとして、修学旅行で長崎にこられない県外の小・中学生や離島の人たちを対象に、インターネット会議システムを使い、被爆体験を映像を通して聞きながら対話する「ピースネット」や、外国語で平和を語る講座も具体化されています。

 同協会の永田博光事務局次長は、「原爆被害の事実をねばり強く知らせ、それを伝えるボランティアをたくさん育てることが、継承運動を広げる」といいます。被爆の継承を支える、しっかりした体制づくりとして期待されています。

 長崎原爆被災者協議会の山田拓民事務局長は、「核実験が繰り返され、小型核兵器開発が問題になるようなときだからこそ、原爆の怖ろしさを語り継ぐことが求められている。被爆者が歩んできた道、国の対応など原点にかえって考えるとき」と継承の重要性を認め、被爆者団体の運動としても語り部の研修や、若者らを対象にシンポジウムなどを計画しています。

 五十二年間被爆体験を語り続けてきた内田保信さん(76)の話 
 被爆体験を語るとき、「願いは運動を引き継いでもらうこと」と必ず話します。若者たちは「はい」と応えてくれ励まされます。自治体も被爆者団体も、若い世代を育てる対策や組織化に、もっと力をいれてほしい。二世や三世の語り部が仲間を誘い、私たち被爆者と話し合いをもつことが残された道だと思います。長崎県 田中康記者