二度と戦争を繰り返さない国づくりに、被爆者としてどう関わっていくか。それが戦争の悲惨さを身をもって体験した者が果たすべき役割だと思います。
 いまイラクでは、米国による報復戦争で大量の殺りく兵器が使われ、多くの市民が傷ついています。「しんぶん赤旗」を除く多くのマスコミは、戦争がもたらす負の側面や、平和運動の広がりという側面にはあまり注目しません。しかし、実際には戦争の惨禍を直視し、再び過去の過ちを繰り返すまいとする反核・平和の運動は草の根で広がっています。
 昨年末、米国は国立スミソニアン航空宇宙博物館で、広島に原爆を落としたBl爆撃機「エノラ・ゲイ」を復元展示しました。その展示の仕方は、戦争が技術を進歩させたという側面を強調するもので、原爆による被害という側面にはまったく触れていません。
 私たちは、被爆者としてその展示の仕方に対し抗議にいったのですが、現地でもさまざまな反核・平和団体が展示のあり方や原爆投下の是非を問う多彩なシンポジウムを開催しました。そこでは、日本から被爆者が来たということで非常に歓迎されたのです。
 私は今度の訪米で、アメリカでも同時多発テロが起こった二〇〇一年とはまったく違った反応が広がっていることを実感し、感動しました。また、日本でも被爆者の発言に耳を傾け、反核・平和の運動を広げていこうとする動きが広がっていると感じています。
 昨年十一月に開かれた反核・平和を考える「地球市民集会ナガサキ」では、集会のなかで被爆者の体験が語られ、今日まで続く戦争被害の実態が明らかにされました。
 私はいま、被爆者運動は本当に期待されているし、それにこたえなければならないと感じています。
 今まで被爆者は、政府から被爆の体験、原爆の被害さえも我慢しろという「戦争被害受忍論」を押し付けられてきました。長い間、原爆被害の実態も解明されず、何の補償も受けられずにきたのです。被爆者の運動はそれに対する抵抗のたたかいでした。
 しかし、「戦争被害受忍論」打破の取り組みは、今や被爆者の専売特許ではなくて、多くの国民に拡大されなければならないと思います。
 例えば今、国会では国民を大規模に戦争動員する有事法制がつくられ、国民保護法制が敷かれようとしています。
 この内容に目を通すと、その根底に「戦争被害受忍論」が貫徹されていることがわかります。国の「戦争被害受忍論」に抵抗してきた被爆者の運動は決して、限られた一部の人たちのものではなくなっているのです。
 私たち被爆者に残された余命は、もういくばくしかありません。しかし、私たちが「広島・長崎を繰り返すな」と訴え、反戦・平和の運動を広げていくことは、大きな遺産として後世に引き継がれていくと思っています。
 被爆六十年を翌年に控えた二〇〇四年。今年は運動の飛躍をつくりだす大きな取り組みを起こさなければならないと考えています。
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 山田拓民(やまだ・ひろたみ)さん。一九三一年生まれ、歳。旧制長崎中学二年の時に被爆。高教組本部役員など歴任。現在、長崎原爆被災者協議会事務局長。
私は言いたい
山田拓民・長崎被災協事務局長
「しんぶん赤旗」04/01/09