五十八年前、米国が長崎市に投下した一発の原爆で、二十四万市民のうち約十四万九千人が死傷。私も九歳で、爆心地から二、一キロの長崎駅前方にある五社山の林の中で、友人数人とセミをとっているときに被爆。林の影にいたために直射をまぬがれました。
 爆心地から五百メートルの城山小学校では児童千五百人のうち千四百人の命が奪われました。今年一月、城山小学校に胎内被爆児、被爆児,正常児の四十人で編成した「原爆学級」二クラスの資料が初めて発見されました。
 番組は、胎内被爆児男女四人の歩みを紹介しつつ、米国がなぜ「原爆学級」をつくったのかを明らかにしています。
「原
爆学級」は核の破壊力と放射能の人体への影響を調査。「米軍を放射能から守る」軍事的な目的で複数の調査団を派遣しました。知能、体力、学力など詳細な調査。ジェームズ・ヤマザキ医師は二キロ以内の胎内被爆児九十八人を調査し「これが原爆がもたらす結果なのかなとショックをうけた」と非人間的な残虐性を指摘しています。
 胎内被爆児の一人は「原爆と私たちは離れては考えられない。二度と落としてもらいたくない」と語りました。四人の胎内被爆児は家庭をもち、これまでの人生でとてもつらいこともあったでしょうが、テレビを通じ、よくぞ生き抜いてこられたと感銘を受けました。半面、ほかのみなさんはお元気だろうかと心配になりました。
 同時に、米国への新たな怒りがこみあげてきました。調査の全容公開と一日もはやい核兵器廃絶を強く求めます。
         川口龍也 長崎 被爆者
なぜ長崎に原爆学級かを解明
 −NHKスペシャルを見た、被爆者の感想−
 2003年8月7日、NHKテレビで放映された「NHKスペシャル−その時私は母の胎内にいた−」。その感想を被爆者の川口龍也さんから「しんぶん赤旗」(8/20付け)に寄せてもらいましたので、紹介します。